「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

神様よりも人間の方がずっと優しい

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重松清その日のまえに』から、

病気の妻が亡くなる直前の描写、

 


「神様は妻に対してとことん意地悪だった。

神様も涙を流すのだろうか」

 


そんな時に発した義父の言葉、

「丈夫な子に産んでやれないですまなかった」

 


神様よりも人間の方がずっと優しい。

 


「望んでも手に入らないものはたくさんある」

「永遠に続く幸せはないのかもしれない」

「生きること自体が辛く苦しいことなのかもしれない」

 


だけれども、

それぞれに輝ける場所があって、

そこに至るためには度重なる「苦しみ」が必要なのだ。

 


「苦しみ」を知っている人は強い。

 


そこからの生を今よりも実感するために、

「苦しみ」は必要なもの、

 


必ず何か教えてくれてるよ。

気づいてよ。

誰かのせいにするのはもうやめよう。

懲り懲りだよ。

やらないってことは本気でそうしたいと思ってはいない

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少し昔に友人から言われたこと、


一緒に海外旅行に行く約束をしていたのに、

「お金が貯まらないから無理だ」と断られた口実に、


「行きたいならば一人で行けばいいじゃん。

それで行かないってことは本気で行きたくはなかったってことだよ」


言い訳にすらなっていない。

なんともひどい言い分だが、なんだか印象に残っている。


結局、無難に台湾を選択して、

一人で行ってきた。


振り返れば、

これを言われなかったら行かなかったかもしれない。

 

 

今、婚活について同じことを考える。


しばらくは色々と動いて、

紹介してもらったり、

出会いの場に招待されたりしたけれど、

最近はそれも落ち着いて、

自分の不誠実さを痛感するだけの儀式で終わったという感想、


いっそのことアプリのほうがいいかもと、

登録してみたけれど、

条件だけで選んで選ばれる感覚が合わなくて、

結局は前に好きだった人を忘れられていないことを思い知らされて、


それでも伴侶のいる人生を諦めることはできなくて、

「2月は何かが起こりそう」だとか、

不確かな「予感」のようなものに翻弄されて、

本質的に何も進まないまま時ばかりが過ぎていく。


「行動しないってことは本気で結婚したくないってことだよ」


友人の声が聞こえてくるようだ。


実際そうなのかもしれない。


「結婚」という目的を前提に、

出会いを求めることが性に合わないのだろう。

それでは相手は「結婚」のための道具になってしまう。


「結婚したい病にだけはかかりたくない。

人を道具のように条件ばかりで見てしまうから、」


以前どこかで書いた、私から生まれた言葉、

そんな尊大な理想が足かせになっていることはわかっている。


だけれども、

そういう生き方をしてきたから、

簡単に抜け出すことはできないのだ。


子供がいて、

健康で体力があるうちに子育てをして、

ライフステージの変化に富んだこの時期を、

2人で力を合わせて乗り越えていく。


それはとても魅力的なこと、


現実は甘くないのだろうけれども、

手に入れていない側から見ればとても魅力的、

 

それを手に入れるために必死になる価値のあることなのだろう。

だからみんな必死になる。


だけれども、

そこに必死になる生き方が私には向いていない。


子供は欲しいし、

若いうちに子育てしたいし、

早く結婚したい。


でも必死にはなりたくはない。


そこはトレードオフ

駄々をこねても仕方がないのだ。


若くて可愛くて性格がいい、

こんなめんどくさい私を受け入れてくれて、

生活力があって、家事ができて、

おまけに胸が大きい。


高嶺に咲く一輪の花を差し出して、

しおらしく「私と結婚してください」なんてアプローチしてくれる、

そんな都合の良い女性はまず現れない。

現れたならばまず間違いなく詐欺の類だろう。


いつも取捨選択を迫られる。


「人生はその繰り返し」


いい加減に嫌気が差すけれど、

それを自由自在に楽しむことができたならば、

人生の大半の悩みは大したことはないと思えるのだろう。


よく聞くことだけれども、

結婚なんてものは一緒になってからが本番、


ここで課題と向き合わなければ、

これから先も同じようなことで悩み続ける。


「自分はどう生きたいのか」


何を手に入れたくて、

何を手放して、

何に喜びを感じて、

何で苦労して、

どのような人生を歩んで、

どのような最後を迎えたいのか。


漠然とした理想はあるけれども、

一人でいられるうちに、

もう少しだけ突き詰めてみることにしよう。


もちろん、

これから先もずっと一人かもしれないけれども、

 

そうだとしても、

死ぬまで一緒に過ごさなければならない、

「自分」の正体を知ろうとすることに無駄はないはずだから、

 

大量生産大量消費

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ものが溢れかえっている。

情報が溢れかえっている。

取捨選択の機会が溢れかえっている。


何もかもが溢れかえっているから疲れるのだ。


とりあえず使えそうだから買ってみる。

とりあえず良さそうだからはじめてみる。

とりあえず予算が余っているから道路でも作ってみる。


人は「利便性」の代償として、

「忍耐力」を失う。


施設に入れば何でもやってくれるから、

お金を払っているんだから、

家族は会いに来てくれないし、


そうして生まれる「キレる高齢者」


子供は宝だから、

大事に育てないといけないから、

良い環境を与えて、社会保障を手厚くして、

「どうか子供を生んでください」


そうして生まれる「キレる若者」


暴走した競争社会、

もはや速度を緩めることは許されない。


だから社会から離脱して、

自分の時間を取り戻そうとする人が増えている。


でも、

それをしたところで、

一線で活躍する人に引け目を感じて、比べて、

自分をとぼしめて、


それでは本末転倒、


心を偽ってはいけない。

そして揺るがないくらいには強く育ててあげなければいけない。


その作業を続ける中で、

そこから生まれる何かを突き詰めることができるならば、

それはきっと幸せに通じるはず、


研修制度やら自己啓発やら読書やら、

そんなものに傾倒したところで、

自分で自分を育ててあげないと、

育った価値観は誰かの模倣品に過ぎない。


称賛が欲しいだけならばそれでいい。


けれども、

消えてはくれない虚しさを解消したいならば、

きっとそれだけでは足りないのだ。


ものに囲まれているから、

情報に囲まれているから、

その中から選ぶことばかりに固執してしまう。


巧妙な罠、


「選ばない」って選択肢だってある。


本当の答えは、

そのどこにもなくて、

自分の中にしかないのかもしれない。


なるほど、

いくら努力をしたところで、

虚しさが消えてくれないわけだ。

 

恋愛がしたいです

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「いくら望んでも手に入らないもの」


そういうものを挙げればキリがない。

だから人は妥協して代替物で隙間を埋める。


「縁がなかった」だとか、

「うまくいかなくて良かった」だとか、


成功してもいないのに、

成功した場合のデメリットをいくつも挙げて、

今を正当化することに躍起になる。


それを自分に言い聞かせて、

苦しみながら、

変わりながら、

少しずつ時間をかけて、

最後は納得させる。


「後から振り返ればそれで良かったと思う」


そう思うのは自己防衛本能の仕業、

思うようにいくことの方が少ない世の中、

そうしなければ人は上手に生きていけない。


生まれただけで喜ばれて、

周りが何でもしてくれて、

惜しみない愛情を与えてくれる。


多くの人はそのような環境を手に、

人生をスタートする。


王様気分で威張り散らして、

周りは何でもしてくれる。


そんな中で育つものだから、

自分は何でもできるんだって、

将来への希望を疑うことはない。


「宇宙飛行士になるんだ」

プロ野球選手になるんだ」

「YouTuberとして有名になるんだ」


もちろん夢を叶える人もいる。


でも、成功者を含めて、

遅かれ早かれ、どこかで思い知ることになる。

自分は全能でも万能でもないことを、


それはとても大事なことで、

それを経験できないことは不幸なこと、


だけれども、

少しやり方を間違えてしまうと、

大事なものを手放すことに躊躇いがなくなって、

「妥協すること」が「生きること」になって、

我慢することが美徳だとか、

自分で自分を飼いならすようになってしまう。


「それが大人になるということ」


そう思わないと、

生きられないくらいに辛いことはたくさんあるから、

苦しいことだらけだから、

間違えてはいないんだけれども、


妥協することに慣れてしまうと、

やるべき努力すら怠るようになってしまう。

どんどん立場を失っていく。


失った立場にまた慣れて、

その範囲で幸せを見つけて、

伝家の宝刀を取り出して、


「後から振り返ればそれで良かったと思う」


今を認めてあげることは大事なこと、

でも妥協と馴れ合いをするつもりはない。


まだまだ燃えていたいんだ。

諦めたくないんだ。


恋愛だって結婚だって、

デメリットを挙げればキリがない。

でも命がそれを求めているのだから仕方がない。


私は恋愛をしたいし、

その先に結婚をしたいのだ。


「あきらめたらそこで試合終了」


安西先生

恋愛がしたいです。


報われる恋愛が、

したいです。

覇王色の覇気

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ONEPIECE』の世界で100万人に一人が持つ特殊能力、

これを持っていると王になる資質があるらしい。


実際これに近いものを持っている人っているな。

最近思った。


人を使うことに慣れていて、

的確な指示と進捗管理

上から見ても軽々しく扱えない雰囲気、

発言すると周りが自然と耳を傾ける。

沈黙というか間にすら漂う風格、

それでいて飾らず爽やかで頼み事をされやすい。

おまけに女子からは隠れモテ、


風格があるのに親しみやすい。

このパラドックスはどうやったら生み出せるか。


「親しみやすさ」は大きな武器、

こういう人種にとっては些細なことがチャンスなのだから、


こういう人って、

自頭の良さだとか、家柄、家庭環境など、

資質というのもあるかもしれないけれど、

「人生の密度」が違うのだろうと感じる。


同じことに取り組んでも、

どれくらい真剣に取り組むかで、

その人が得るものは大きく変わる。


そういう積み重ねで生きてきたのだろう。


結局、大事なことは

「地道に積み重ねること」


イチローの言葉、

「努力せずにできる人を天才というのならば、僕はそうじゃない。

努力した結果できるようになる人を天才というのならば、僕はそうだと思う。」


「どう生きてきたか」

それが今の自分を形作る。


そう信じることができるならば、

苦しい今を乗り越えられるはず、


些細な日常から少しでも多くのことを吸収しよう。

立ち止まってはいけない。

無為に時間を過ごしてはいけない。

それが「上手に踊る」ということなのかもしれない。


必要以上に過敏になることはないけれども、

もう少し主体的に生きたい。

 

ロストマン

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「状況はどうだい?僕は僕に尋ねる」

 


進んでいる気になっているばかりで、

あまり本質的には進んでいないな。

 


「結婚したい」なんて、

少し前までは本気で思っていたけれど、

思えば思うほど苦しくもどかしい。

 


そこから逃げるように、

理論武装で自分を言いくるめて、

今では心の置所すら不確かだ。

 


「歩んできた道の正しさを祈った」

 


これでいいのか。

このままでいいのか。

選択は間違っていなかったのか。

 


過去に足を引っ張られて、

現実に無力さを痛感させられて、

どうやら前にも後ろにも進めないようだ。

 


「迷子って気づいていたって、気づかないふりをした」

 


目の前のことに集中して、

努力を積み重ねていれば、

いつかきっと花開くはず、

 


そうやって「努力」を心の拠り所にして、

「努力」の先が示すもののことは、

考えても仕方がないって言い聞かせていた。

 


「破りそこなった手作りの地図、シルシをつける現在地」

 


今更いくら愛の言葉を並べたところで、

もはや手遅れ、

 


上から別の何かを塗っても塗っても消えてくれない過去、

次に進むためには過去を受け入れて、

自分の居場所をしっかりと確認しないと、

 


どんなに遅くなったって、

準備ができるまでは始められない。

 


「ここが出発点、踏み出す足はいつだって始めの一歩」

 


ようやく踏み出した一歩、

その正しさに自信はない。

 


それでも進むしかない。

はじめはゆっくりでいい。

 


地面の感触を確かめながら、

しっかりと大地を踏みしていることを確認して、

 


次の一歩は少し大きくしてみようか。

 

怖いのは当たり前、

大丈夫、

軸足はしっかりと大地を踏みしめている。

ちゃんと確認したはずだろ?

 


ほら大丈夫だった。

 

顔を上げると、

いつもと同じ景色がなんだか少し違って見える。

 

環境ではない。

自分の心次第、

 

「間違った旅路の果てに、正しさを祈りながら」

 

ぶっつけ本番力

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「この人はこのパターンか」

初対面の人でも少し話せば人となりを無意識に分類している。


悩みを相談しても、

「このパターンね」

大体答えを予想できてしまう。


歳をとるにつれて、

固定観念に囚われて「決めつける」ようになる。


「自信」を持つことは大事だけれど、

「過信」に変わったら成長は終わり、


先のことを見越して色々と準備して、

ある程度の精度でそれが当たるようになる。

そんなものは経験値を積めば当たり前、


もちろんそれをした上でだけども、

想定外のことに対処できる「ぶっつけ本番力」を身につけたい。


それがないから無難な選択に逃げる。

傷が一番浅くなる方法を経験的に選んで、

その結果、何も起こらずにただただ時間が過ぎていく。


ライフステージを先に進めたいのであれば、

どこかで勇気を出さなくてはいけない。

リスクを取らなくてはいけない。


かっこ悪くてもいい。

相手の気持ちがわからなくても良い。

自信がなくても良い。

 

いい加減に理解しないといけないな。

卑屈になるメカニズムを、

 

色々あったようで、

本質的なことは何もなく過ぎた2月、

 

この長い冬が終わるまでに、

何かを見つけて生きようと思ったけれど、

何かを見つけることもないままに、

 

ダンス・ダンス・ダンス

 

誰よりも上手く、ステップを間違わずに踊り続けないと、

どんどん硬くなって身動きが取れなくなる。

 

「上手く説明できないけれど、

とにかくあんたは踊り続けるしかない」


「好き」ならば「好き」とはっきり言える。

そんな生き方でありたい。

 

もうすぐ春なので、

ちょっと気取ってみることにしようか。