「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

私のおっぱい論 〜大きい方がいいの?〜

f:id:tureture30:20191029204721j:image

 

最近少し騒がしくなっているけれど、

永遠のテーマと言っても良いのかもしれない。

 

大きい方がいいのか。

小さい方がいいのか。

そう。女性の胸についてだ。

 

「良い悪い」ではないな。

それでは男の主観が過ぎる。


先に宣言しておくが、

私は大きい胸に惹かれる。

 

もちろんそれが全てではないけれど、

単純に大きいと目を奪われてしまう。

それが惹かれている証拠、


理由は特に思いつかないけれども、

本能的なものなのだろう。


「ただの脂肪の塊なのにね」


そう言われたって、

惹かれるものは惹かれるのだから仕方がない。

話していても自然と顔から目線が下に行ってしまうことがある。

そういうのって気が付かれているらしい。


そしてそのたびに「男って…」

世の女性はそう思っているのだろう。


だけれども仕方のないこと、


男と女は違うから惹かれ合う。

セックスシンボルを目印にして、

「確かに異性だ」って、

わかりやすいものに引き寄せられる。

 

男は特にそうなのだろう。

目に見えるものだけが真実とは限らないのにね。

視覚を頼りにするものだから、

簡単に騙される。


そして人は「好奇心」という魔力に心を奪われる。

普段は露わにしないその先に待ち受けているもの、

そういうものに惹かれるのだ。


みんな服なんて着ない裸で、

それが当たり前の世界だったら、

きっと必要以上に意識することなんてないはず、


だけれども我らの文明には羞恥心がある。

それが性差に対する自意識を助長しているのだろう。


長い髪だったり、

血管の浮き出たゴツゴツした手だったり、

くびれたウエストやたくましい筋肉、

あそこの大きさを気にする女性だっているわけでしょ。


性差というもの、

挙げればキリがない。


「自分にないものを持っている」


神秘的だ。

だから惹かれる。

そういう理屈、

 

もちろんそれはヘテロセクシャルの視点だと断っておく。


だけれども気をつけなければならない。

「大きすぎる」といけないのだ。


思いも寄らない大きさに直面した時に、

図らずも人は萎縮してしまう。


そしてこう考える。


「自分の手に余るな」


「好奇心」よりも「現実感」が上回ってしまうのだ。

そうなると正当化するための理由をつける。


「小さい方に惹かれる」

そういう派閥が生まれる。


人は経験を信仰する生き物だから、

一度そう思ってしまうとなかなか拭えない。


生まれた時から「小さい方に惹かれる」

そんな男はいないんじゃないかな。

何かしらの経験を経てそうなるのだ。


自らのコンプレックスに起因するものだったり、

何かのきっかけで目覚めたり、


きっとそういうもの、


タイトルに話を戻そう。


「異性を惹きつける」

そういう意味では間違いなく大きい方が有利なのだろう。


だけれどもそれを求めていない女性だっている。


同性の敵は増えるかもしれないし、

変な被害に遭うリスクだって高まるのかもしれない。


自分の武器だと理解して、

理想の異性を手に入れるために使う人もいるけれど、

そういう人のイメージが一般化して、

望まない好奇の目で見られることだってある。

 

言わば「諸刃の剣」なのだ。

単純に大きければ楽に生きているわけじゃないでしょ。


結局は個性でしかないのかもしれない。


男は馬鹿だとか、

女はずるいだとか、


そういうのって、

主張する側の主観でしかない。


経験をもとに価値観が作られて、

それが行きすぎるとなんだって攻撃材料になる。


「巨乳は奇形」


あそこが小さいからって、

大きい同級生を「デカチン」っていじる小学生みたい。


大きくたってそれを正しく使う機会がないならば、

自分をすり減らしてしまうだけ、

 

小さくたって、

コンプレックスなのって悩んでいたって、

正しく使う機会がある方がよほどいい。

 

異性を囲い込むための武器ではなくて、

生理的な機能や命を育むため、

そして「愛情表現」という形でね。


その心も体も、

愛する一人から求めてもらえるならば、

それでいいんじゃないかな。


大きいとか小さいとか、

そんなことだけで選んで選ばれたって、

きっとうまくはいかないでしょ。


異性を使い捨てる。

男は女を性欲の捌け口に、

女は男を不安解消の道具に、

そうやって傷つけ合うことが病理、

 

「ヤらせてやったのに」

 

そう言っていた女性がいたけれども、

その言葉自体が相手を都合よく使おうとした証拠じゃないのかな。


誠実ってなんだろう?


そんなことを書いていたって、

私も女性をそういう目で見ているのだけれど、


「大きい胸に惹かれる」


草食の権化みたいな私だってそう思う。

 

だけれども思うことは止められない。

需要が多ければ商品化される。

そういうもの、


人だって動物、

そんなにいきり立たないでさ。

 

BLだって地位を確立したから、

web広告で目にするし、

散々流れているけれど、

生理用品のCMだって男からしたら、

「粛々とやってよ」ってそう思う。

 

男も女もどっちもどっち、

少しくらいは多目に見てよ。

 

ある意味では成長なのかな

f:id:tureture30:20191029064453j:image

 

「最近、顔色が良くなりましたね」

ランチを共にしていた後輩くんにふと言われた一言、


「婚活をお休みしているからね」

私はそう答えた。


出し切ってしまったのか。

最近はあまり言葉が出てこない。


何かに取り憑かれたように文章で吐き出していた時期もあった。

言葉を紡ぐことに飽きてしまったのかな。


理想の相手と一緒になることを目指していたけれど、

どうやらそのことに私があまり執着しなくなったみたい。


それもある意味では成長なのかな。


欲求だとかそういうものを垂れ流しにして、

それが敵わないからっていちいちイライラして、

そんな状況よりかは幾分かマシ、


だけれども気力が湧いてこない。


やらなくてはならないことを、

やらなくてはならないからやり続ける。

生活のためにやり続ける。


なんだかそんな繰り返し、

それを続けられているだけでも上出来なのかな。


それ以上に手を伸ばして、

また体調を崩してしまったら本末転倒、


私の心は誰かと一緒に前に進むことを、

求めてはいないのかもしれないな。


いつだってダメになる。

いや、自分でダメにしている。


前に進まない理由を作って、

純情を装って、


いい加減いい年だよ。

何をしているんだか。


ある意味では成長していても、

ある意味では全く成長していない。

 

人生ってそういう繰り返しなのかな。

 

餌に釣られて前に進んでみる。

だけれども餌は餌だから、

手の届きそうなところでフッと消えてしまう。

 

人参ぶら下げられた馬みたいに、

そうやって走り回らされる。

何か大きなものの意思によって、

 

賢くならないといけない。

賢くなるって走るのを辞めるってことなのか。

 

それはわからないけれど、

顔色が良くなってきたようだから、

今はもう少しお休みしていればいいか。

 

もはや手遅れ、

今更焦ったところで変わらないのだ。

 

私にしかできないことをしたい

f:id:tureture30:20191028062908j:image

 

「死」があるから「生」を強く実感できる。

使い古されたテーマだけれども、

人生における永遠のテーマなのだろう。


命が永遠に続くならば、

生きるための努力などする必要がない。


ずっと続くのだから、

何も焦る必要はない。

好きなことだけをしていればいい。


だけれども人生には終わりがある。

だから「生きた証を残したい」

そうやって人は努力する。


理想の人生を掲げたり、

理想の相手を求めたり、

子孫に夢を託したり、


「生きた証」がほしいのだ。

この世に生まれてきた理由が、


だからそれぞれの道を歩んで、

「自分」というものを確立したがる。


他の誰でもない。

唯一無二の価値、

それを示すために努力する。


挫折を繰り返しながら、

方向転換を繰り返しながら、

その過程で掴み取った何かを大事にして、

「希望を失わないで」って、

そう自分に言い聞かせて、

 

「前に進んでいる実感」なんて、

そんな不確かな物を頼りにしながら、

死ぬ覚悟をしつつ必死に生きる。


人生に理由がほしいから、

自分の価値を信じたいから、

それを求めて必死に生きる。


そういうものなのかな。


それならば手っ取り早い。

難しいことを考える必要なんてないのだ。


周りの人の幸せのために行動すればいい。

そうすれば周りの感謝を通して、

自分の価値を信じてあげることができる。


傷ついて、

もう前に進めなくて、

自分の価値を信じられなくなったならば、

隣りにいる、目の前にいる、

その人のために行動してみればいい。


その結果、

図らずに感謝の連鎖が広がればいい。


「ありがとう」って、

「あなたの存在を認めますよ」ってこと、


そうやって、

利害関係なんて除いて、

互いが互いを認め合うことができれば、

きっと争いなんてなくなるのだろう。


「自分の価値を信じられない」


そう感じるならばまずは周りに認めてもらうこと、


「ありがとう」をたくさんあげて、

「ありがとう」をたくさんもらう。

そこからもう一度、自分を見つめ直してみる。


そうすればきっと、

いくら理想が高くたって、

少しは自分を認めてあげられるはず、


そうやって、

少しずつ「これでいいんだ」って、

自分を認めて生きていければいい。


きっとそこから、

この世界にいてもいい理由を見つけることができるのだから、

 

ドラマ『同期のサクラ』

「私にしかできないことをしたい」

 

それってそういうことなのかな。

 

人は自由なんて求めていない

f:id:tureture30:20191027083525j:image

 

「人類が柵を作るようになった時に文明が生まれた」

ジャン・ジャック・ルソーの言葉、


これは誰の所有物でどこに権利がある。

そうやってルールを作ることで、

安心を得ると同時に不自由を手にする。


法に守られるためには、

法を守らなければならない。


本当に自由な世界に放り出されたら、

きっと途方に暮れてしまうだろう。


「だから人は自由なんて求めていない。

私だってそう。

限度はあるけれどもね」


村上春樹海辺のカフカ』でのワンシーン、


「やることがない」


忙しいよりも、

人は必要とされないことに耐えられない。


だから忙しいアピールをするし、

有能であるかのように見せたがる。


何かに縛られていたいのだ。


仕事だったり家庭だったり、

何かに身を委ねて、

何かに所属していることに安心する。

そこに役割があることに、


自由ってことは、

自分の存在意義を自分で見出す強さが必要、


誰から認められなくても、

何に所属していなくても、

自分で自分の価値を信じられる。


そういう強さが必要、


だから自由じゃなくてもいい。

否、自由過ぎなくてもいい。

 

年をとって経験を積み重ねると、

何でもかんでも自分でコントロールしようとして、

何かに身を委ねられなくなってくる。

 

どうしょうもないことはどうしようもないのだ。

そのことを受け入れることも強さ、

 

器を大きくするためには、

意見が合わない人をも味方にしていく強さが必要なのかな。

 

自由過ぎても大きく育たない。

不自由な中でも輝くことができる。

そういうものって必要、

 

両手が塞がっていたものだから、

今はいろいろなものを手放す時期なのかな。

 

そうすることで持ち方を変えて、

もう少したくさんのものを持てるようになる。

 

無理のできない体になってしまったから、

多くの物を抱えるには持ち方を工夫しないといけない。

 

まだまだやれる。

できないことは増えるけれど、

返ってやりたいことは明確になる。

 

そうやってみんな年をとっていくのかな。

 

夢中に生きるってどうするんだっけ?

f:id:tureture30:20191026102332j:image

 

周りからいろいろなものが消えていく。

手放す時期に来たのかな。


熱を上げていた婚活を切り上げて、

かかえていた資格の試験を全て終えて、

体調が落ち着いてきたものだから、

ゆっくりと次のことを考えようと思った矢先、

今度は愛犬を失って、


バレーボールは終わり、

ラグビーも日本は敗退して、

野球の日本シリーズもあっけなく終わった。


しばらく読んでいた本も読み終えて、

通っていたジムは月末で退会する。


手放すものばかりで、

手に入るものはあまりない。

おまけに寂しさを紛らすための術もない。


そういう時期、


立ち止まる時だよって、

教えてくれているのかな。


それとも、

新しいことを始める時だよって、

そういうことなのかな。


忙しくなろうと思えばなれる。

そんな球はあるのだけれど、

どうにもあまり気乗りしない。


それに乗っかると、

なんだか搾取されているような気がしてしまうから、


昔はそんなことを考えもしないで、

夢中になれたものなのに、

歳をとってしまったのだな。


もうしばらくは心を落ち着けて、

目の前の責任だけを果たしていればいいのかな。


だけれどもそれだけでも、

なんだか責任は重くなる一方だ。

体力はどんどん落ちているのに、

かかえているものはどんどん増えていく。


いつまで片手間に責任を果たしていけるのかな。

両手まで塞がってしまったらきっと、

逃げ出したくなるだろう。

 

これでは結婚なんてとてもできそうにない。

おひとりさまの覚悟を決め込むべきなのかな。

 

夢中になれる体力を失ってしまってから、

夢中になれる心まで蝕まれてしまった。


もう少し、

夢中に生きていたいな。


夢中に、

幸せを追い求めて、

自分よりも大きな世界に対して、

使命感を持って生きていけたらな。


そういう時期って、

どこで終わってしまうのだろう。


子供の頃は、

何に対しても夢中だったのに、

 

世界と自分が密結合していて、

「世界に何か影響を与えられる自分」

そういうものを信じていたものだから、

世界が輝いて見えた。


夢中に生きるって、

どうしたらいいんだったっけな。


思い出そうとするほどに、

それが遠くに行ってしまう気がする。

 

考えれば考えるほど、

何か理由を探してしまうのだ。

それでは夢中になんてなれっこないな。

 

大人になると頭で考えるようになる。

だから夢中になれないのか。

 

お別れをしてきました

f:id:tureture30:20191024214426j:image

 

なんとも呆気ないものなのだなぁ。


もともと小さかったけれど、

もっと小さくなってしまった。


大好きだったご飯とおもちゃ、

それにお花に囲まれて、

命だけではなく体も逝ってしまったのだなぁ。

 

またも24日、

私の転機は月の24日ばかりに起こる。

不思議な巡り合わせ、

 

まだしばらくは思い出してしまうかな。

ふとした時にいつもは飛んで来るはずのあの子が来ないことの寂しさ、

それを思い出しては悲しみがこみ上げてくる。

 

写真をたくさん撮っていた。


携帯の待ち受けもあの子、

すぐに変えるのも忍びないから、

しばらくはこのままかな。


時の流れと共に受け入れて、

時の流れと共にいないことが当たり前になっていく。


その存在を覚えている限りは、

私の中で生き続けるのかな。


その小さな体で精一杯生きる姿を見せてくれて、

色んなものをくれたから、


最後の最後まで命を燃やして、

最後の最後まで一生懸命に、

生きていたんだよな。


ありがとう。


気まぐれで自由な子だったけれど、

おねだりの時は辛抱強かった。


だから私が幸せになるには、

まだまだ時間がかかるかもしれないけれど、

辛抱強く見守っていてね。


もしも将来、

新しい命を授かることになったならば、

そうしたらまたうちに生まれてきてくれるのかな。


それはわからないけれど、

どこかで知らないうちにまた会えるのかもしれないね。


ありがとう。

本当にありがとう。


また会う日まで、

さようなら、

 

疎結合と密結合

f:id:tureture30:20191024091543j:image

 

関わりが深ければ深いほど、

離れるのに痛みを伴う。

体の一部になってしまうから、


密結合とでもいうのかな。


だからって、

色んなものと自分を切り離して、

「自分とは関係ありません」って、

そういう生き方をしていたら、

虚しさばかりを感じてしまう。


痛みを伴うことになっても、

人は何かと繋がらないと生きてはいけないのだ。


それを失いたくないから必死になって、

それを奪われようとするから怒りが生まれて、

「自分らしさ」を守るために人は生きているのかな。


心を動かし続けるのだ。

そうして喜びも悲しみも、

痛みや怒りさえも自分の一部として受け入れる。


「生きる覚悟」って、

きっとそういうもの、


何かがあるたびに振り回されて、

心を揺さぶられて、

痛みを感じて、


そういう経験ばかりしていると、

心を動かすことを恐れて、

心が動かないように努めるようになる。


「生きてきた証」


そういうものって心を動かすから見えてくるはずなのにね。


頑張っている人を嘲笑ったりだとか、

「どうせ無理」って決めつけたりだとか、

どこか冷ややかな目で見て、

無駄な労力は使わないってかっこつけて、


シニシズム

冷笑主義ってやつ、

 

熱くならないことで、

諦めてしまうことで、

自分を守ろうとする。


周りと自分を切り離して、

心が動かないように無関心を決め込む。

世の中に期待などしていないから、

 

疎結合ってやつ、


そうやって心を過保護にしても、

心の虚しさは埋まってはくれないよ。


色んなものと繋がって、

それを手放すたびに痛みを感じて、

人生ってその繰り返し、


先回りばかりして、

損をしないようにって、

苦しい思いをしないようにって、


リスクを避けて、

コスパばかりを気にして、

動かない理由ばかりを探して、

 

そんな人生に何が残るのだろう。


痛みを感じて、苦労して、

もがきながら一日一日を積み重ねていく。


いいじゃないか。

生きてるって感じがして、


穏やかに生活できることが幸せ、

だけれどもそれって移ろいやすいもの、


心を強くしてあげて、

穏やかでも幸せ、

大変でも幸せ、

いつだって幸せ、


そう思えるようになれたならば、

人生の課題の大半はクリアしたようなものなのかな。


いや、そんなに甘くはないな。


人生には思いもよらぬことがたくさん起こる。

その度にそれと向き合って、

日々を積み重ねていくしかないのかな。

 

クリアなんてできない無理ゲーなのかもしれないな。

それでも最後は悔いなく逝く。


生きるって大変なこと、