「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

冬がはじまるよ

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「冬がはじまるよ。ほらまた僕の側で」

槇原敬之『冬がはじまるよ』


ここ最近、グッと寒くなった。


側にいてくれる人はいないまま、

もう12月になってしまった。


この歌の冒頭で「僕」は「君」の8月の誕生日に、

半袖と長袖のシャツをプレゼントする。

「ずっと一緒にいられるように」っておまじないらしい。


今年は婚活にお熱だったものだから、

夏までにたくさんの出会いを重ねたけれど、

冬までつながっているものは1つもない。


こじらせ続けて来たのだから、

そんなに簡単に絡まった糸がほどけるわけはないな。


動けば動くほどに糸が増えるものだから、

より複雑に絡まってしまう。


一つずつ切ってしまうことが一番の近道、

真っ赤な最後の一本さえ残っていればいい。


それをたどればきっと、

「君」にたどり着くのだろう。


だけれども気が付かないうちに、

絡まっていた糸はほとんど無くなってしまった。


どうやらその中に「真っ赤なそれ」は無かったみたいだ。

残っているのはどす黒い感情に染まった、

「後悔」という関係の糸だけ、


また結び目を作っていくしかないのかな。

私の糸と誰かもわからない「君」の糸で、

 

初めから真っ赤なことはなさそうだ。


それが適切なタイミングを迎えると、

真っ赤に色を変えるのかな。


始めから赤ければわかりやすいのに、


「会った瞬間にこの人だって思った」


そういう話をよく聞くけれど、

そんなことは本当にあるのかな。


少なくとも私の予感は外れてばかりだ。


いつだって傷ついてばかり、

女性を見る目がないのだろう。


昔からやけに好かれる相手がたまにいる。

私にはわからないけれど向こうは私に何かを感じるのかな。


だから出会いの場には繰り出して、

見初めてくれた相手と一緒になるのが幸せなのかな。


なんだかおセンチで女々しいな。

だけれどもそれくらいが私らしいのかもしれない。

 

女々しくて、女々しくて、女々しくて、

つらいよ。

 

男性の風俗経験率

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少し年上の方たちと飲んでいた時のこと、


そっちの話になって静かに話を聞いていると、

皆さんなんだか当たり前のように風俗に行っている(行っていた)ような感じ、


そんなにみんな普通に言っているものなの?

中には相手や奥さんがいても隠れて行っていたり、

そんな様子、


気になってネットで調べてみると、

「ある程度の社会経験があればほとんどの男は行ったことがある」

みたいな書き方までされていた。


マジか。


私って割とまともに社会人してきたつもりけれど、

まともじゃなかったのかな。


キャバクラくらいならば何度かある。

胸を押し当てられて気まずかったり、

「かわいい」なんていじられたり、


だけれどもその先まで付き合いでいくものなのだな。

 

公式な調査だと経験率41.8%みたいだけれども、

こういうのって経験しているとは書きにくいだろうし、

 

30代の4人に1人くらいは行為自体を未経験みたいだけど、

それってほとんど社会人じゃないのか。

 

そういえば学生時代に昔の友達3人で飲みに行った時は、

「彼女が2人いるとクリスマスは大変だ」って話で盛り上がっていた。

私に彼女がいないってだけで彼らは驚いていた。

 

実際のところはわからないけれども、

私の思っている以上にみなさん色々と経験してきているみたい。

 

若い時の火遊びみたいなのって、

経験しておいた方がよかったのかな。

 

私はおったっちまった情欲を、

生身の女性に鎮めてもらった経験はない。


元カノとは何度か泊まったけれど、

手を出せなかった。


そしてプロにお願いする勇気もない。

飲み会の後でそういうところに行く流れになったとしても、

おそらく私は断るだろう。


なんだかこじらせすぎているな。

難しく考えすぎているのかな。


画面の中の女性には鎮めてもらっているくせに、

生身となると不誠実だなんて、

それもおかしな話だ。


だけれども一つ思う。


男女の差は大いにあるけれど、

好きになった相手がお金をもらって体を重ねた経験をしていたとしたら、

私はものすごく嫌だ。


それと同じように、

私のことを好きになってくれた相手が、

私がお金を払って体を重ねる経験をしていたら、

ものすごく嫌なんじゃないかな。


プロにお願いしようと考えたこともあるくせに、

勇気が出なかった言い訳だけれども、

なんだかそう思う。


こじらせすぎてつらいよ。


だけれどもそれが私なのだ。

仕方がないな。

 

侵食

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痛みや苦しみではなくて、

漠然とした将来への不安、


そういうものが精神を蝕む。

気が付かないくらいの速度で、


理想と現実の間に佇む、

埋まらない距離、


それに気がついてしまったら最後、

徐々に汚染されていく。


気が付かないふりをしても、

埋める努力をしても、

ゆっくりと進んでいく。


変に高い理想を掲げすぎているのかな。

努力に見合わないくらいの、

大きな理想を、


何度もチャンスはあったのに、

指の間からすり抜けていった。


逃した一番大きなチャンスに固執し続けている。


そうすることでどんどん醜くなっている。

そんな自分に気がついているのに、


どんどんどんどん醜くなっていく。

気が付かないふりをして、


どこからが人で、

どこからが人じゃなくなってしまうのかな。

 

横断歩道

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「赤は止まれ」

「青は進め」


信号が「赤」から「青」に変わる。


「白」だけを踏んで進もうとしたけれど、

向かいから人が歩いてきた。


それを避けようとして、

少し斜めに踏み出したものだから、

「黒」を踏んでしまった。


一度そうなると次の一歩も「黒」


その次も「黒」

その次も…「黒」


一度踏み違えてしまうと、

意識して歩幅を変えてあげないといけない。

「白」に戻すために、


ずっと「白」を踏み続けていたら、

なんてことはないはずなのに、

これが意外と骨の折れる作業だったりする。


やはり「黒」

その次も「黒」

そしてまた「黒」


悪いことって重なるもの、


一度悪いことに遭うと防衛本能が働いて、

しばらくは悪いことにばかり目が向くようになる。


「なんて可哀想な私なのかしら」


悪いことばかりに目を向けて、

可哀想な自分を慰めるのだ。


「特別でありたい」


なんだかんだ人はそれを望んでいるから、

「ヒロイズム」によって自己承認欲求を満たそうとする。


だけれども、

それにも限界があるから、

そのうち自分の手に負えなくなる。


逃げ出したくなったならば、

横道に逸れてみればいい。


「黒」「黒」「黒」


それでも思いっきり、

横道に逸れてみればいい。


「黒」が続いたって、

横断歩道の縁は「白」


そこから歩みを進めれば、

その先はずっと「白」


「白」「白」「白」


だけれどもそうなると、

今度は「白」に飽きてしまう。


そして斜め前に一歩を踏み出して、


「黒」「黒」「黒」

 

また少し歩幅を調整して、


「白」「白」「白」

 

時には、


「白」「黒」「白」


そうこうしているうちに、

信号が「青」から「赤」に変わる。


どうやら時間切れみたいだ。


最後の力を振り絞って、

なんとか「白」で終える。


人生って、

そういうものなのかな。

 

村上宗隆をキャッチャーに戻せ!

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ヤクルトスワローズの村上宗隆が、

セリーグの新人王を獲得した。


19歳ながら36本の本塁打を放ち、

96の打点を上げる。

どちらも高卒2年目以内としては日本新記録

 

逸材の揃う「清宮世代」

その中でも頭ひとつ抜け出して、

将来の日本の4番として期待される逸材、


来年はバレンティンが抜けることになれば、

チームでもシーズンを通して4番に座るかもしれない。


その村上だが、

高校では捕手を経験するも、

打撃に集中させたいとの理由で、

プロ入りと同時に内野手に転向した。


だけれども行動を見ているとガッツリ捕手タイプ、

最年少ながらピンチではまっさきにマウンドに向かって、

積極的に周りを鼓舞する。


上下関係の厳しいプロ野球界で、

「雄平さん声出して下さい」だなんて、

35歳の大先輩をいじる図太さ、


それでいて気配りは抜群、

シーズン終了のセレモニーで、

小川監督が受け取った花束を係に渡すために、

まっさきに駆け寄ったのが19歳の村上だった。


それを見て、

「これは大物だな」

そう思った。


打席の佇まいだけではない。

人としてもどっしりとしている。


「打てる捕手」に光が当たる昨今、

今年はパリーグMVPとなった西武の森友哉が史上4人目となる首位打者を獲得した。

長いプロ野球の歴史で4人しかいないのだ。


それほど捕手にかかる守備の負担は大きいもの、


だけれども、

村上にはそれを期待してもいいのかもしれない。

攻守にわたるチームの要、

そんな未来像に期待してしまう。


一年間守ってみたけれど、

内野守備はどこかおぼつかない。

サードはもちろんファーストでもまだまだこれから、

それならば捕手で伸ばす選択も遅くはない。

森友哉だってしばらくはDHで出場していたのだから、


多少打撃成績は落ちたとしても、

これから先のチームのことを考えたら良い選択だろう。

 

野球ファンの間では、

事前の空気感に反して、

プレミア12が思いのほか盛り上がり、

日本の優勝という形で幕を閉じた。

さらに来年は東京オリンピックを控えている。


侍JAPAN

4番キャッチャー・村上、


可能性は限りなく低い。

文字通り「夢」だ。

 

だけれども、

そんな夢を思い描くだけの魅力が、

村上宗隆にはある。


ヤクルトスワローズの「村上宗隆」


いつかは日本を背負う選手、


野球に興味のない人たちにも

この名前を覚えていて欲しい。

 

自分の言葉で話すということ

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どこかで聞いたような言葉ばかりが溢れている。

その言葉で世相が作り出される。


「共感」によって自分をアップデートするならばいいけれども、

まるごとコピーして自分のものにしてしまう。


そういうことばかりしていると、

言葉が薄っぺらくなってしまう。


言葉には「覚悟」が必要、


そして言葉を発する人が思っているよりもずっと、

その「覚悟」の有無に聴衆は気がついている。


どこかにカンペでも出している人がいるの?

そんなテンプレ回答ばかりしていてさ。


本気でそう思っているの?

立場を守りたいだけじゃないのかな。


そうやってどんどん自分を殺していく。


「こうあるべき」だとか、

「こうでなければならない」とか、

そんなことにばかり縛られて、

気が付くとレールの上から抜け出せない。


私は一生懸命に生きている人が好きだ。

そしてそれを食い物にする人が死ぬほど嫌いだ。


立場はなくて、

周りから認められなくて、

もがき苦しんで生きている。

そういう人が本当の「人」なんじゃないかな。


敷かれたレールの上を、

レールが敷かれていることにすら気が付かないで、

得意気に「自分の人生」を気取って生きている。

それって誰かに生かされているだけなんじゃないかな。


それだけならばまだいいけれど、

誰かが言ったもっともらしい言葉を振りかざして、

それを矛にして誰かを傷つける。

それを盾にしてちっぽけな自尊心を怯えながら無様に守っている。


本当にそれでいいの?

自分の人生、本当にそれでいいの?


自分の言葉で話そうよ。

もがき苦しむ中で浮かんできたものが、

自分の言葉、


誰の言葉を引用する必要なんてない。

言葉に権威を結びつけてしまったら、

それはもう自分の言葉ではない。


ビジネスのテクニックとしては有効だけれども、

それを無闇に使いすぎると、

プライベートとの区別がつかなくなってしまう。


思うように動いてくれなくて、

どうしようもなく厄介なやつだけれども、

私は自分と心を大事にしたい。


そして、

誰に馬鹿にされたって、

そこから出た自分の言葉を大事にしたい。

 

人生はどれだけ勇気を出したかで決まる

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ある研究結果によると、

人は「できなかったこと」をできるようになった時、

云わば「成長」を実感した時にドーパミンが分泌されて、

喜びを感じるらしい。


「失敗は成功のもと」


よく言われることだけれども、

それは真理なのだろう。


だから成長するためには、

どれだけ失敗したかが大事、


もっと言えば、

どれだけ挑戦したかが大事、


だから勇気の数だけ、

人は成長できる。


壁はそれぞれ、

人によって違う。


当たり前のように恋人が途切れない人がいれば、

私のように10年以上も相手がいないこじらせ野郎もいる。


一部は才能もあるのかもしれないけれど、

得手不得手はこれまでの人生経験で決まるもの、


苦手な分野に取り組むには、

「勇気」が必要だ。


私は異性に興味を持つのが遅かったのかもしれない。


一番後先考えずに行動できる高校までは、

部活やゲームや漫画に夢中だった。


部活のマネージャーの先輩、

実験で同じ班だった同級生、

修学旅行で泣かせてしまったあの子、


異性に興味はあったけれども、

それを表に出すようなことはあまりなかった。


大学でデビューをして、

一度は相手ができたけれども、

苦い経験から苦手意識を持つようになった。


それからも色々あったほうだと思うけれども、

こじらせにこじらせを重ね続けて、

経験すらしないまま今に至る。


もはや手遅れかもしれない。

だけれども今が一番若い。


「勇気」を出して取り組むしかないのだ。


「結婚って本気になればいつかはできるもの」


アプローチを受けることはあるから、

漠然とそんな気がしていたけれど、

いざ取り組んでみると、

経験が不足しすぎていてどうにもならない。


そう感じた一年間、

もう12月、

最後に勇気を出してみるのも悪くはないのかもしれない。


前に進むために始めたブログだけれども、

どうやら長いこと停滞している。


出会いは重ねた。

デートの回数も重ねた。


もともと聞き上手で人たらし、

少なくともビジネスでは、


会うところまで行けば、

好意を引き出せる自信はある。


「勇気を出す」


それをできなくなってしまったら、

気持ちが傾きかけても、

その気持ちすら疑うことになる。


好きだから嫌われるのだ怖い。

好きだから何を差し置いても一緒にいる時間を優先したい。

好きだから共に将来を築きたい。


だから、

それには「勇気」が必要、

そういうものじゃないのかな。

 

だけれども、

仕事は経験を重ねることで、

効率良くできるようになっても、

恋愛は不器用なままでいたい。


「勇気」が「愛」に変わる。


恋愛ってそういうものなのかもしれない。


何が君の幸せ、

何をして生きるのか、

答えられないなんて、

そんなのは嫌だ。


「愛」と「勇気」だけが友達さ。


それってそういうことなのかな。

やなせたかしさん、