「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

寒暖差

f:id:tureture30:20240322073632j:image

 

 

 

 

 

今朝は驚くほど寒い。

昨日も寒かったが、それよりもまた一段寒いように感じる。

少し前は夏日に手が届くような気温だったので、ここまで寒暖差が大きいと体にも堪える。

 

私も妻も体調を崩している。

誤魔化しながら、

なんとか今週を過ごしている状況だ。

 

今年の冬は、まだ終わりたくないと粘っているのだろうか。

私たちの見えないところで、冬と春が鎬を削っているのかもしれない。

 

来週は少し暖かくなるようだが、天気が悪いようだ。

桜の開花時期だから、良い天気を期待したいが、そうもいかないのかもしれない。

 

今年は久々に仲間と花見を行う予定だ。

今のところは、雨になりそうな予報。

気温も天気も変化が大きい時期。

 

おまけに何度が切り替わり、新たな環境に身を置く人も多いから、ストレスも大きな時期となる。

電車はいつもよりも混雑しており、通勤のストレスも大きい。

 

今はそういう時期なのだ。

4月の終わり頃までは、ドタバタした状況の中で社会生活が営まれることだろう。

 

ゴールデンウィークを心の支えにしながら、

我慢が必要な時期なのだ。

セカイノオワリ『Dragon Night』

f:id:tureture30:20240316092245j:image

 

 

 

人はそれぞれ正義があって、

争い合うことは仕方ないのかもしれない

 

 

改めて聞いてみると秀逸だ。

この曲には「救い」がある。

 

どんなに対立した相手同士であっても、

ふとしたきっかけで手を取り合うことができるのだ。

 

意地を張っているだけ。

「わだかまり」なんてものは、

時と共に薄れていく。

 

それでも手を取り合うことができないのは、

ただ、キッカケがないからなのだ。

 

もしも、100万年に一度のDragonNightなる日があり、

その日は誰しもが手を取り、友達のように歌うのだとすれば、それをキッカケにして、世界中の争いは一旦リセットされるのかもしれない。

 

神話のような世界観から溢れ出す「救い」

今の人類には、そんな「救い」が必要なのかもしれない。

 

 

 

 

セカイノオワリ『Dragon Night

薄っぺらい「優しさ」で満たされた社会

f:id:tureture30:20240320072201j:image

 

 

 

多くの痛みを引き受けることで、人の痛みを知ることができる。

その繰り返しの中で人は本当の意味で優しくなることができるのだ。

 

「痛み」を経験していない「優しさ」

どこか薄っぺらい。

 

苦悩が深ければ深いほど、その薄っぺらさに苛立ちを覚える。

今の時代は、表面的にうまくやることばかりを求められる時代だ。

反射的に、当たり前のように口を突いて出る「優しい言葉」

そこに心はこもっていない。

 

薄っぺらい「優しさ」。

 

相手のことを思いやる気持ちが根底にあれば立派だ。

思考を経て、相手に対する思いやりを源泉として発せられる言葉には力がある。

 

そうではなく、反射的に口から出る優しい言葉。

私たちは、それをコミュニケーションを円滑に運ぶための道具として利用してやいないだろうか。

それが癖になってやいないだろうか。

 

相手に優しさを向ける時、今一度自分の心と向き合う必要があるのかもしれない。

今向けようとしている優しさは、相手のことを思う気持ちを厳選としているのだろうかと、自らに問いかける必要があるのかもしれない。

 

表面的な優しさばかりを器用に使いこなしている気がする。

テクニックとして、そういうスキルが体に染み付いている気がする。

それは私の望むところではない。

 

役割でもなく、自衛でもない。

心の奥底から反射的に、目の前の相手を思いやることができるようになりたい。

 

社会はどんどん優しくなっている。

正確には、「優しさ」や「正しさ」を人に強いるようになっている。

 

果たして、人のために社会があるのか、

それとも人は社会を構成するために存在しているのか。

わからなくなる。

 

私たちは、何を目的として「優しさ」を他人に対して向けているのだろうか。

今一度、考える必要があるのかもしれない。

「他人の考え方」に対する理解

f:id:tureture30:20240319070752j:image

 

 

 

 

人の思考は千差万別だ。

例えば、「りんごが落ちた」という事象一つとっても、何も感じない人もいれば、逸話の真偽はともかくとして、ニュートンのように世界の真理に及ぶ人もいる。

 

仕事中に寝ている人を見て「自分は忙しいのに、こいつは暇なのか」とイライラする人もいれば、家庭環境の悩みや病気を懸念して心配する人もいる。

これだけ考え方が多様なのだから、相互理解は難しい。

 

それでも私たちは、同じ空間で同じチームとして働くことを求められる。

それならば、無理をしてでも、お互いの考え方を「受け入れる」ことはできなくとも、理解しなければならないのだ。

 

自尊感情の低い人ほど、他人に対してマウントをとりたがる。

他人に対して誇れるものを見つけると、それを拠り所にして自分の価値を認めたがるからだ。

 

そういう人と接する時の態度として気をつけなければならないことは、その人のプライドを傷つけないようにすることだ。

少しでも間違いを指摘すると激昂する。

だから、間違いを指摘するときも、「あなたの考えも間違いではないけれども、こういう方法もある」と、注意深く接する必要がある。

 

意見を戦わせることで成果をブラッシュアップすることを求める人もいるけれども、自尊感情の低い人に対してそれをしようとすると大変なことになるのだ。

 

口では本人の思っていることと全く違うことを言っているケースもある。

「何か思うことがあったら、なんでも意見を言ってほしい」

その言葉自体が罠だったりもする。

 

相手のタイプを見抜いて、それに応じた接し方をしなければならない。

相手のマネジメント不足だと感じても、自分の力不足を詫びなければならない。

 

それが「相互理解」ということなのだ。

結局は、立場の強い人間が得をするようにできている。

まだまだ日本はそういう会社が多いのかもしれない。

画面を見過ぎている

f:id:tureture30:20240318081816j:image

 

 

 

 

何をするにしてもスマホ一つで完結する。

裏を返せば、何をするにしてもスマホが必要な時代だ。

 

目の奥が痛い。

画面の見過ぎだと思う。

そこから頭痛に発展し、体調のすぐれない状況が続いている。

意識的にデジタルデトックスをしなければならないのかもしれない。

 

何をするにしても、一日中画面を見ている。

仕事もそう。プライベートもそう。

もはや、起きている時間は、画面を見ている時間よりも、画面を見ていない時間の方が短いのではないかというくらいだ。

 

目が痛いと、何をするにしても億劫になる。

目を開いているだけでも刺激があるものだから、暗い場所で目を閉じてじっとしていたくなる。

 

私には、そういう時間が必要なのかもしれない。

ただ目を閉じて何もせずに過ごす。

意識的に休養を取ることが大事なのだ。

 

無理をしている自覚がなくても、無理をしていると体に跳ね返ってくる。

そういう年齢になったのだ。

 

大体、いつも体の何処かに不調を抱えている。

調子の良い日の方が珍しい。

30代という期間の中で、私の体は衰えていった。

 

それならば、メンテナンスを意識して、体の不調を抱えながらも、なんとか誤魔化しながらパフォーマンスを維持するしかない。

 

とにかく今は調子が悪いから休もう。

休めるときに休んでおかなければならないのだ。

望む未来につながっている実感

f:id:tureture30:20240317154740j:image

 

 

 

 

今の私の生活が、私の望む未来につながっている。

それを確信できるほど、私は後悔なく生きてなどいない。

 

とことん自分を追い込んで、「これ以上はできない」というくらい無駄なく生活を組み立てている人ならば、今の自分の生き方が、望む未来につながっているという確信を持つことができるのだろうか。

 

いや、そうは思わない。

そうやって自分を追い詰める人ほど、「まだまだできることがあるはずだ」という強迫観念に囚われて、自分の「イマ」に満足できないように思う。

 

要は「心の持ちよう」なのだ。

未来を肯定的に捉えることのできることは、特殊能力なのかもしれない。

 

未来に希望が待ち受けていると信じていれば、どんな苦難に直面していようとも、未来を信じて前進することができる。

そういう力が私には足りないのかもしれない。

 

難しいことは考えずに、これだけ頑張っているのだから、今の私を肯定してあげたい。

季節の変わり目だからか。

久々に微熱が出た。

 

今日の午後からは強制的に休養を余儀なくされている。

ゆっくりと休んで、また明日から元気に動けるようにしたい。

休むことに集中しよう。

3月も半分が過ぎる

f:id:tureture30:20240316093512j:image

 

 

 

 

ここからゴールデンウィークまでの期間は、

おそらく一踏ん張り必要な時期となる。

仕事も家庭もさまざま変化の大きな期間だ。

 

私はそれを乗り越えることができるのか。

できることならば楽しみながら前に進みたい。

 

新しい課題が目の前に山積するだろう。

相変わらず休日も忙しく過ごしている。

幸いなことに、妻は家でゆっくりしている。

妊娠後期となり、あまり自由に動けないから、家のことは全部やってくれるのだ。

 

本当のところは、家のことを全て任せるのは忍びない。

それでも、今はそのような生活スタイルにせざるを得ないのだ。

 

大きく変わっていく。

私は自分の時間を家族のために使うようになるのだ。

今の生活スタイルのままでは難しい。

ここからは、徐々に生活を変えていかなければならない。

 

少しは育児休暇を取ることができそうだ。

その期間で、家庭において自分がやらなければならないことを、しっかりと自分のものにしたい。

 

育児は「手伝う」のではなく、

「役割分担」なのだ。

どんなに忙しくても、その意識を頭に叩き込んでおかなければならない。

 

「他人事」にはなりたくない。

今の時期しか経験できない、大事な時間をしっかりと過ごしたい。

 

そろそろ、そのための準備を真剣に取り組む時期になった。

私は、ここから生活を大きく変えるのだ。