「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「散りゆく桜」に思う、ここ最近の私の課題

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自分よりも立場が上の人に対して寛容ではない。

「媚びる」とかそういうことが苦手、


不満が募ると「ぞんざいな態度」に変わっていく。

私の場合はこれが「わかりやすい」のだ。


その「不満」


私の場合は突き詰めて合理的に考えるから、

立場の上の人が行う「非合理」や私に対する「不当」な扱いが許せない。


そもそも「ダニング=クルーガー効果」というものがあって、

能力の低いものほど自分の能力を高く見積もりがち、


その点からすれば「謙虚ではない」

そのこと自体が「無能」という証なのかもしれない。


「権力に対する反骨心」

私はそういうものが強いのだろう。


だから立場が上の人は「組織側」

そういう見方をしてしまうのかもしれない。


その「組織側」が搾取を始めたらその組織は衰退していく。

人が資本であり、人の集合体が組織なのだ。


そんなイデオロギーを抱えているばかりに、

どこか「組織側」に対して「不寛容」になっていく。


それが私の課題だ。


「組織側」の人だって同じ「人」なのにね。

それに「見る人」によっては私も「組織側」の人間だ。


どこか自分だけが特別だと思っていて、

「組織側」と「人間側」の中間地点にいると思い込んでいる。


だから「謙虚になれない」

こういうことになるのだろう。


以前の記事で私は自分のことをファイナルファンタジーにおける「赤魔導士」だと表現した。

色々なことをそれなりの水準でこなすけれど、

決め手に欠ける「器用貧乏」なのだ。


加えて「人の間に立って物事を調整する仕事」


そういう立場にばかりいるから、

自分が「調停者」みたいな錯覚に陥っているのかな。


「組織」に所属していても、

どこかその「組織」を俯瞰して見ている。


詰まるところ「幼稚的全能感」を捨てきれない。

そんな「大人子供」なのかもしれない。


「不満があっても態度に示さない」

 

10年以上社会人やっていてそんな当たり前のことが苦手、

どこか「独善的」で「正義は我にあり」とでも思っているのだろう。


確かに私が「不満」を持つ場合、

冷静に考えてみても私のほうが「合理的」であることがほとんどだ。


だけれども、

それは「私の見える範囲」でしかない。

ある面では正しくても見方によって180度変わることも珍しくはない。


普段から「満たされない」感覚が強いから、

どこか「不満」に対して敏感になっている。


「ほらまた」

「いつだってうまくいかない」


そうやって「うまくいかないこと」ばかりを探しているのだ。

そうやって「うまくいかない人生」を自ら仕立て上げている。


なんとも馬鹿らしい。

自分で自分を不幸にしているのだ。


「やるべきこと」を淡々と続けてきた。

だけれどもそれが「やるべきこと」だったのかわからない。

なかなか辛いものがある。

何も進まないままに時ばかりを重ねていく。


私の感じる「居場所のなさ」

その病理はボロボロな「男としての自尊心」


私は何度その惨めなありさまと、

向き合わなければならないのだろう。


しばらくは何となく意識せずに済んでいたけれど、

桜の季節を迎えると、その「不変の美しさ」から、

どこか自分の「醜さ」を浮き彫りにされたような気になる。


散りゆく桃色の欠片たちは、

刻一刻と迫るタイムリミットを物語る。


「時の流れ」


ただ無遠慮にそこに身を任せられるほど、

私の人生は先に進んではいない。


枝葉の先に微かに残る欠片たち、

それは私に残された数少ないチャンス、


ふわりと落ちるその瞬間、

地面にたどり着くまでに手中に収めるべく、

残された欠片たちを愛おしく見守る。


ただ愛でる。


私は私の可能性を慈しみ、

ただ愛でる。


今はそういう時期なのかな。