「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

人を信じるということ

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経験が人を作る。

 

私がよくブログで使う表現だけれども、

「人は経験を信仰する生き物」

 

成功体験を積み重ねてきた人は、

その多くが自信満々に生きているだろう。

 

成功体験を積み上げてこられなかった人は、

どこか自分を卑下しながら生きている人が多い。

 

社会に、人に期待しなくなってしまうのだ。

 

立場によって物事の見方は全く変わる。

ある人から見れば素晴らしい人に見えたとしても、

ある人にとっては性格が合わない。

 

人によってその評価は180°違うものになることも珍しくない。

 

人はそれまでに培った経験によって自分なりに物事を判断して、

「自分のものさし」を作り上げていく。

 

その「ものさし」

いわば経験の集大成だ。

時を重ねるごとに、その形状や使い方は複雑に変わっていく。

 

その人にしか使いこなせない「ものさし」

その「ものさし」に人生を委ねて生きていく。

 

誰もがそれぞれの「ものさし」を持ち、

それを基準として生きていく。

 

もしも「素晴らしい」と、そう思う人が現れて、

その人に惚れ込んでしまったとしたら、

それは切り取った一面かもしれないけれど、

「自分のものさし」と寸分狂いなく価値観の一致する瞬間をその人から感じたからなのかもしれない。

 

結局、人は自分勝手、

自分の価値観でしか物事を判断できないのだ。

 

だけれども、私はその「自分勝手」にとことん身を委ねることができることに魅力を感じている。

 

こと、「人」に対してはそうでありたい。

 

人の足りないところばかりに目を向けていると、

環境に対して不満が生まれる。

挙げ句の果てには自分の非を正当化して、

自分の立ち位置を確保することに躍起になってしまう。

 

人の優れたところに目を向けられれば、

謙虚な気持ちが生まれる。

人に対する尊敬が生まれ、周りに対する感謝が生まれる。

 

自分のいる環境自体を肯定することができれば、

そこでの立場を気にすることはなくなる。

そこにいる仲間たちを認めて認められる。

自然とそういう関係を構築できれば人はそれだけで満たされるのだ。

 

心のセーフティネット

 

結局は「人を信じる強さ」

そこに「満たされる」本質が隠されているのかもしれない。

 

騙されたとしても、理不尽な目にあったとしても、

それでも「人の可能性」を信じる。

 

多くは失敗体験繰り返すたびに、それを一般化して猜疑心に包まれていく。

 

だけれども、特定の個人は信じられなくなったとしても、「人そのもの」を信じ抜く。

そういう強さを持ち続けられる人は幸せな人だ。

 

自分の立場を相対的に上げるために、

誰かを批判して悦に浸ることは楽、

 

自分より下がいると安心するために、

ワイドショーにのめり込んで自己肯定感を高めることは楽、

 

それに比べて「人を信じること」

「人類の可能性を信じ続けること」

それはとても大変なこと、

 

だけれども、そういう強さを目指すか否か。

それは生きる上で大きな分かれ目だと感じる。

 

騙された経験すらも笑い話に変えて、

悠々と人生を謳歌していく。

 

そんな強さを身につけたい。

そう思った。