「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

価値観アップデートお化け

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30代になってからだろうか。


それまでの価値観では生きていけなくなったものだから、

私は「価値観の再構築」をし続けている。


それは「苦しみを伴う作業」だけれども、

「生きるために必要なもの」だから、

やむなく続けざるを得ない。


私の20代は「超自我」に支配されていた。

 

道徳や規則と言ったわかりやすく一般化できるものを盾にして、

そこから外れた人たちは「間違っている」と主張するという武闘派、


自然と己に課すものも大きくなってくる。

「私の器」はその圧に耐えられずにつぶれてしまった。


だからゼロから価値観を再構築するために、

少なくとも「書くこと」を続けていて、

それをアップデートし続けている。


「書くこと」を習慣にしてみると、

どこか「未知のもの」に対する好奇心が顔を出すようになる。


それまでは「悪」とみなしていたものにさえ、

その背景に思いを馳せるようになる。


「人生」なんてものはさ。

死ぬまで再構築の繰り返しだ。


細胞だって3か月で体のすべてが入れ替わるらしいし、

価値観だって長いスパンで見れば、

その多くは入れ替わるのかもしれない。


大事なことはさ。

「仮説を立てて検証」

その繰り返しなんじゃないのかな。


それを辞めてしまって、

「もうこれでいいや」って思ったときに、

その人の人生は「ある意味では」終わる。


「死」と直面したときに「それに立ち向かえるかどうか」

それは「価値観をアップデートし続けているか否か」で決まるんじゃないのかな。


「死」と向き合うってことはさ。

そして「生」と向き合うってことはさ。


あまりにも辛くて苦しいこと、

辛くて辛くて、苦しくて苦しくて、

諦めてしまったほうが楽だと思えるくらいだ。


だけれども人は生きるのだ。

そういう風に育てられてきたから、

 

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明治維新の英傑たちなんかはさ。

「信念」に殉ずることを選択して、

ある意味では価値観のアップデートを止めてしまった。


戦時中の「お国のために」だってさ。

そういう風に育てられてきたからだ。


少なくとも先進国では「命は大事だ」って、

声高に叫ばれる時代だからさ。

「命」と向き合う苦しみがある。

そういう風に育てられてきたからだ。


是非はともかくとして、

そういうことなのだろう。


何を書きたかったのかわからなくなってきたな。

話を戻そう。


私は今「理解できないこと」をおもしろいと思っている。


もちろん危害を加えられるならばその限りではないけれど、

自分とは違う価値観に触れることで、

どこかカタルシスを感じるくらいだ。


私は「価値観をアップデートすること」に、

飢えているのかもしれない。


初めての人との接点ができると、

どこかその人の「人となり」から本質を探ろうとして、

全身を舐め回している感覚がある。


もちろん「いやらしい意味」ではない。


何かその人から学ぶことはないかと、

そういう目で見て相手を評価している自分に気づく。


その人を見ているようで、

その人を見ていないのだ。


私が客観的にそれを文章化していても、

どこか「気味の悪さ」を感じているくらいだから、

私に対峙する相手からしたら私を気味悪く思っているかもしれない。


昔記事にした、

村田紗耶香さんの芥川賞作『コンビニ人間

  

tureture30.hatenadiary.jp

 

思い返してみて、あの人は「コンビニ人間」だったのだなって、

何人かこういう人種に出会ったことがあるけれど、

もしかしたら私も「そっち側」なのかもしれない。


「社会」や「組織」へのコミットメントに生きがいを感じる「コンビニ人間

そこでしか生きていくことができないのだ。


だけれども、

ある意味では誰しもが「コンビニ人間」で、

「生きられる範囲」が広いか狭いかの違いだけ、


当時そういう書評を書いているけれど、

時を経て一層そう感じる。


周りから影響を受けて、

その環境に染まっていって、

「アップデート」し続けて、

生を営み続けている。


「自分らしさ」なんてものは幻想で、

「自分らしさ」だと思い込んでいるだけ、


「価値観アップデートお化け」


コンビニ人間」を私なりに解釈すると、

そういう言い回しになるだろうか。


みんなお化け、


「自分らしさ」という名の外套をまとっただけの、

中身はスカスカのお化け、


生きる環境によって、

外套はいくらでも着せ替えられるのだ。


そう考えてみると、

「人間存在の本質」ってものは、

いったいどこにあるんだろうね。