転職時に感じた「お金」への執着

f:id:tureture30:20210719070158j:image

 

私はケチで倹約家だが、人付き合いにはお金を惜しまない。

婚活時のデートは大抵奢っていたし、飲みに誘われれば都合のつく限り参加する。

だから、決して「お金」に対して意地汚いとは自覚していなかった。


だけれども、ここ最近気が付いたこと、


転職することになれば当然色々と「お金」が絡む。

前後の給料や退職金や年金のこと、

有給休暇とどれだけ消化できるかも間接的には「お金」の話かもしれない。

賞与の支給時期だって大きく年収に響いてくる。


真っ先に考えないといけないことは、

まずは「今の職場」に誠意を尽くすこと、


十分な引継ぎをして可能な限り後に支障の出ないように図り、

お世話になった人に感謝を伝えて円満に職場を後にすること、


そして次に「次の職場」に誠意を尽くすこと、


入社の時期や現職での状況、

準備しておくべきことなどを確認して十分に取り組む。

そういうことを優先させるべきなのだ。


だけれども、どこか私の中で「損をしたくない」という心理が働く。


複数の引き合いがあったものだから、先方からの提案だったが年収交渉を行った。

入社時期に関してももう少し引き延ばせれば賞与や退職金を多くもらえて、おまけに有給まで消化できる。


そんな考えに支配されそうになるのだ。


私から「実直さ」を取ったら何が残るのか。

地道にコツコツとやるべきこと見つけてはそれをやり続ける。

私の持ち味はそこにあると感じている。


なのに「損をしたくない」

人は「得をする」よりも「損をしないこと」を望む生き物、

私も例外なくその一員なのだと痛感する。


結局のところは打算を排して退職時期を決めたのだけれども、この決断で少なくとも数万円は確実に損をすることになる。

どうにも残るモヤモヤ感、


「まだまだだな」

私は私に対してそう思う。


「誠実でありたい」と思って生きてきたけれど、

たかが数万円で揺らぐくらいのマインドだったのだ。


別に損をしたっていいじゃないか。

そんなことで信用を失う方が、よほど自分を認めることができなくなる。


「打算的な人」が嫌いなはずなのに、

気が付くと私も「打算的な人」になっている。


年を取ってしまったからなのかな。


私は私の信念を「お金」で売ってしまうところだったのだろうか。

そうやって妥協するたびにどんどん醜くなっていく。


「道徳と利益は相反することはない」


今流行りの渋沢栄一氏は『論語と算盤』と銘打って著書として残し、人生を懸けてそれを証明した。


比較するのもおこがましいくらいスケールの小さな話だけれども、

私はこの転職の時期に損をする数万円を惜しんでいる自分に気が付き、その「器の小ささ」に辟易した。


これから大きく羽ばたこうとしているはずなのに、

そんなことにモヤモヤする程度の器なのか。


前に散々書いていた記憶があるけれど、

考える間もなく瞬時に細胞が反応して「誠実」な選択をできるようになりたい。

私はそこにアイデンティティを求めていたはずだ。


やはり「まだまだだな」


年を取るほどに「手元にあるもの」を手放すことが怖くなる。

「失う悲しみ」は「手に入れる喜び」よりも鮮明に命に刻まれるものだから、

「理不尽な経験」を重ねる中で傷ついて「もう傷つきたくない」って、

「損をしない方向」ばかりに進むようになる。


「欲望」という果てしなく底の深い闇に飲み込まれてしまわないように、

自分を監視し続けないといけないのかな。


ともあれ、私は「まだまだだ」

今回はそのことを確認する良い経験だった。