「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「ジャッジする側」も覚悟を持って臨むことの大切さ

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ここ最近の私は「ジャッジされる側」だった。

採用面接を受けていたのだから当たり前のことだ。


普段は仕事柄「ジャッジする側」に回る機会もある。


何気なく「ジャッジすること」に慣れてしまっていたものだから、

改めて「ジャッジされる側」に身を投じて感じたことを述べたい。


まずは「ジャッジする側」の覚悟、


先日ある製品の営業を受けた時に、一通り説明を受けた後、私はその製品に対するジャッジを行った。

 

その時に先方からその理由を尋ねられて、テンプレのように当たり障りのない説明をした。

そうしたら先方は、若干食い気味にさらに突っ込んだ質問をしてきて、私の本音を引き出そうとしてきた。


「なるほど」どうせダメならナレッジ化するために本音を引き出そうという意図か。

そう思ったけれど、その熱意に与するように私は洗いざらい本音を語ったうえで「検討の余地はある」ような匂わせをしてその場を終えた。

相手からすれば0から0でないものを引き出せたのだから御の字だろう。

当の私もどこか心地の良さを感じていた。


そこで感じたこと、

「ジャッジする側」は「ジャッジされる側」から刃を突きつけられる可能性があるということ、


私はそういうスリリングな展開が嫌いではないので「心地よさ」を感じたけれど、安穏とその場に望んでいたら面食らってしまうことになりかねない。

「ジャッジする側」にも覚悟が必要なのだ。


翻って、私が「ジャッジされる側」として感じたこと、


経験が不足している部分についてはその場で埋めようがないけれど、概ね当たり障りなく質問に対する返答を続ける。


経験・スキルを問うものから、ビジョンを問うものまで、限られた時間の中で粗を探すような質問が飛んでくる。


突拍子もなく時事問題に対する意見を求められた時は面食らったけれど、「模範的な回答ですね」と言われ一件落着に収める。


「最後に質問はありますか?」ときて私のターンだ。

採用する側は当然良い面ばかりを前面に押し出して求人を行うため、本音を引き出すことが肝要と考えた私は、「社風と業務内容に限定して強みと改善点」を聞き出す。

その返答に対して2,3質問を重ねると懸念すべき点が見えてくる。


「製品」は売ればそれで終わりだけれども、「自分」は売った後でその先に身を晒すことになる。

安易に「売ります」と答えることはできないのだ。


私が覚悟をもって若干立ち入ったことを質問すると、相手も覚悟をもって本音を話してくれる。

そういう構図は自分が「ジャッジする側」でも「される側」でも変わらないのだなと感じた。


せっかくのいわば「商談」の場、当たり障りのない対応ばかりしていると、なんだか時間を無駄にしたような気になってしまう。

どうせお互いに貴重な時間を割くのであれば、触発し合ったほうがいい。


単に「売り買い」だけが目的ではないのだ。

 

人生を楽しむためには「主体性」が大事、

目の前のことに覚悟を持って臨むことができれば、もっと日常は楽しく映るのかもしれない。

 

仕事への態度、

生活への態度、

友人への態度、

 

まだまだ生活を充実したものに変えられる。

そのためには「覚悟」が必要なのかもしれない。

 

先日、1日に一度は「不快になること」を自らに課したほうがいいとの記事を読んだ。

 

筋トレでもランニングでも、冷水浴でも、達成感のある負荷をかける習慣を身につけることで、イザと言うときに一歩を踏み出せる。

 

やはり「主体性」というものが大事なのだ。

それは「生きがい」にも繋がってくる。

 

ジャッジする側でも、される側でも、

私は私の人生を生きるのだ。

 

大変だとしても、

それが楽しく生きるための秘訣、