「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

私のブログに生じた変化について

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誰も気が付かなかったかと思うけれど、

実はしばらく曜日ごとにテーマを決めて記事を投稿していた。

 

今まではその日の気分に合わせてストックから引っ張り出してきて、

またその日の気分に合わせて編集したものを投稿するスタイルだった。

 

書き下ろしの記事はめっきりと減り、

ストックの中から選んで投稿、

だいたいそんな感じだ。

 

ここ最近は木曜日と土曜日、

その2日だけは決まったテーマのものを投稿していた。

 

木曜日は「音楽」の紹介、

土曜日は「映像作品」の感想、

 

たったこれだけなのだけれども、

3年以上も毎日投稿を続けていて、

私は初めてブログに縛りを設けた。

 

「音楽」の方はイマイチだけど、

「映像作品」の方は割と反響がある。

 

そんな感じでマーケティングの真似事のようなことに興じているのかも知れない。

 

私は私のためにブログを書いている。

それは一貫してきたことだ。

 

人生を「より濃く」生きるために、

ふとしたときに浮かんできた言葉を掬い上げては形に留める。

それが私に取ってのこのブログだ。

 

いわば「メタ認知」が目的なのかも知れない。

加えて「承認欲求」を満たすためのものでもある。

 

収益化は全く目指していない。

書きたいことを書き続けて来た。

 

だけれども、環境の変化があったからだろうか。

どこか最近の記事は「目的」を持ったものが多いと感じる。

 

「自由」ではないのだ。

地に足ついてしまっている。

 

何かを評価したり、

何か読者に恣意的な印象を与えようとしたり、

そういう記事が増えて来たのだ。

 

何か対象があって、

そのことについて書き連ねることはさほど難しいことではない。

 

だからある意味では、

最近の私は0から1を生み出すことを放棄して、

記事を書いているのかも知れない。

 

「方向性が決まって来た」と言えば聞こえはいいけれど、

それをしないことを信条としてブログを続けて来た節があるものだから、

この変化に対して、どう捉えたらいいものかわからないでいる。

 

余裕がないのかも知れないな。

今の私には余裕がないのかも知れない。

 

ふわりと浮かんできた言葉を、

思いつくままに書き連ねるだけの余裕がないのかも知れない。

 

私のブログがどんどん私の手から離れていく。

そんな感覚を覚えるこの頃、

 

ここから先はどのように続いていくのだろうか。

私は私の中で、「世界との折り合い」をつけてしまったのだろうか。

 

いや、そんなに単純なことではないな。

 

うまく言語化できないけれど、

そんな単純なことではないことはわかる。

 

今日のようなフワッとした記事、

自然とそういうものが次から次へと浮かんでくるような時期はまた訪れるのだろうか。

 

女性から酷い裏切りにあって、

「幸せ」になりたくて始めたブログ、

 

私はもうそれほど、

「幸せになりたい」と思っていないのだろうか。

 

少なくとも、求める「幸せ」の質は変わった気がする。

 

ライフステージに変化がなかったとしても、

注意深く心を見つめ続けてみると、

約3年半という月日は、思いの外、

私に大きな変化を与えていることを実感する。

 

ブログの在り方、

少し考えてみたい。