「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

記事の「文字数」が減ってきた

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今回は、私のブログについて考えてみたい。

長らく続けてきたブログだ。

当たり前のように毎日更新しているが、ここ最近は、それが当たり前ではなくなった感覚を覚える。

 

少し前までの私は、一つの記事の文字数を、

大体1000文字以上は書くと決めていた。

しかし、結婚生活が始まり生活が一変してからは、毎日更新することに必死で、そこまで気にすることができていない。

 

果たして、これは私のブログと言えるのだろうか。

毎日更新を続けることが目的となっていないだろうか。

そのような自問自答を続けて今に至る。

 

アクセス数も交流も徐々に減ってきた。

ブログを書くことをやめてしまった人たちも増えている。

私が皆さんのブログに訪問する回数も減っている。

これまでは、交流自体が楽しく、ブログを続ける大きなモチベーションになっていたが、それが少し薄れている形だ。

 

もう少しでブログを始めて5年となる。

その間、私の人生は大きく変わった。

その記録を綴ることに「意味はあった」と感じるけれど、今の私には世界について物申したいことは何一つないのかもしれない。

 

元々自己満足から始まったブログだ。

気が向かなくなれば、いつでも辞めるつもりでいたけれども、毎日更新が1000日に近づいた頃からか、毎日更新を続けることを意識するようになった。

 

モチベーションの高い時期は、呼吸をするように文章を書いていた。

記事のストックを貯めていき、その日の気分に合わせて投稿するスタイルだった。

 

ところが、今は記事を書くために、見切り発車で書き出すことが増えた。

その多くはその時の心情を綴るもの。

当然、内容は毎回変わり映えのないものになる。

 

これまで私は、ブログに「書きたいこと」を書き続けてきたけれど、

今は「書きたいこと」を書いているのかわからない。

何度もこういう期間を経験したけれど、今回は生活の変化の大きさから、一過性のものとは思えないのだ。

 

村上春樹さんが『回転木馬のデッドヒート』の中で綴られていた通り、「書き続けること」でどこかにたどり着くと期待していたわけではなかったけれど、私はすでに目標としていたところに辿り着いたのかもしれない。

 

そう考えると、私にとって「ブログを書くこと」は、何を意味するのだろうか。

元々、収益化など全く目指していない。

日常を「より濃く」生きたいという目的はあったけれど、ブログを書かなくても、今の私の環境は、内容が濃すぎると感じている。

 

この辺りで、いったん毎日更新をやめたほうが良いのか。

それとも、途切れるところまでは意地でも書き続けたほうが良いのか。

その辺りはわからない。

 

とりあえず、私はブログを書き続ける。

先のことは、それが止まった時に考えれば良い。