私は毎日朝にブログを更新していたが、
ここ最近はバラつきが大きくなってきた。
朝の時間を確保できないわけではない。
どこかブログのことが頭から抜けていたり、思い出しても後回しにしたりと、そういうことが増えた。
私の中でブログの優先順位が下がっているのかも知れない。
もう少しで1300日連続での更新となる。
その間、何度か言葉が降りてこない時期はあったけれど、その時は更新に対する義務感のようなものを沸き立たせて、過去に書いたストックを引っ張り出すことで凌いできた。
今回も同じようなことをしてはいるけれども、
どうにも身が入らない。
加えてストックも先延ばしにしていた重たいものばかりが残る。
コタツ記事みたいなやつは、既にほとんど消化してしまったのだ。
そうなると、今の私の心境と相談する必要が出てくる。
1年以上前にストック記事を書いた私と今の私、
そこに乖離があれば、安易にストックを引っ張り出して投稿する事は躊躇われる。
私はおそらく書き続けることで浄化されているのだろう。
吐き尽くした毒、
その残骸を過去に書いたストックに見ては鼻で笑う。
だけれども、昔の方が明らかに読み物としては面白い記事を書いている。
ある意味では、吐き出すことにより凡庸に変わっていった。
そういうことなのかも知れない。
この4年足らずの期間で私に起こった変化、
その大きさを自らの書き物から感じる。
それだけでブログを続けてきた価値はあるのかも知れない。
「芸術の到達点は人間賛歌」
昔そういう記事を書いたけれど、人は創造を繰り返す中で世界を肯定できるようになるのだろう。
心の闇は、誰かの心に響く。
だからこそ芸術として評価されやすい。
自分の闇を受け入れて、不満や不安と和解してしまったら、あとは「手放しの賞賛」でしか人の心を惹きつけるものを作れなくなる。
もしかしたら、人間的にヤバい人ほど、優れた芸術を生み出し続けるのかも知れない。
大抵の人はどこかで折り合いをつけるのだ。
世界と自分との間に、折り合いをつけてうまいこと生きていく。
もしかしたら、私にもそういう時期が来たのかも知れない。
薄々とは感じていたけれど、私にはもう、吐き出したいものがあまりないのだ。