「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「コンドーム」の使い方がわからないという話

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掲題の話し。

本来であれば、高校生なんかが抱える悩みなのだろう。

 

「日本の性教育の遅れ」を取り上げた話題が少しばかりトレンド入りしているみたいだけれども、私もその被害者の一人ということになるのだろうか。

 

外国の中学生女子が、手で顔を覆いながら男性器の模型にコンドームを装着している画像を見て、私にも思うところがあった。

 

私は30代も後半になったけれど、プロにもお世話になったことのない真性の童貞なものだから、コンドームを使ったことはおろか、下手すると生で見たこともないかもしれないし、触ったこともない。

 

そもそも「使う機会のないやつが使い方を知っても仕方がない」と言われれば、そこで話は終わってしまうのでご容赦願いたい。

 

もしもチャンスが巡ってきた時に備えて、私は予行演習をしておくべきなのだろうか。

 

そもそも装着の仕方、

これは女性が身につけるべき知識なのだろうか。

その辺りが全くわからない。

 

確かに「日本の性教育の遅れ」というものはあるのだろう。

それを私は身をもって感じている。

 

年端も行かない若者たちのことだ。

知識がなければわざわざ恥ずかしい思いをしてコンビニまで避妊具を買いに行くことはしたくないのだろう。

それに金額もそれなりにするようだ。事前に準備していなければ、気持ちが高まったタイミングでそれを沈めてまで買いに行こうとは思わないだろう。

 

若者にとっては、避妊のハードルが高すぎるのかもしれない。

 

だから気持ちが高まって、我慢できずに行為に及び、「失敗」という表現が正しいかはわからないけれど、望まぬ形での妊娠をすることになる。

 

その結果として、心も体も大きく傷つくことになる。

そして、その度合いは女性の方がはるかに大きいだろう。

 

その経験から、堕胎したことで自己嫌悪に陥り、自己肯定感が低くなり、かろうじて自らの価値を見出すために、求められるままに安易に体を差し出すようになる。

 

前に見たドキュメンタリーだったか。

そんなロジックで望まぬ形で性産業に従事する女性は多いようだ。

 

仕事の貴賤について論じるつもりはないけれど、本人が望まぬ形で従事しているのであれば、それは正しいこととは言い難いだろう。

 

人はとことん残酷になれる。

 

とことん優しくもなれれば、とことん残酷にもなれるのだ。

自らの身を守るために、少し前までは愛おしくて仕方がなかった相手を簡単に切り捨てることができる。

それが人間という生き物だ。

 

だから私は、自分の気持ちの「出どころ」を強く意識して生きている。

誰かを「好きかもしれない」と思った時に、その気持ちの出どころは果たして「誠実なもの」なのだろうか。

 

そんなことを考えているうちに、相手の気持ちは私から離れていく。

そういう失敗を繰り返していることは何度もブログに書いてきた通りだ。

 

この、潔癖とも言える私の恋愛観は、私のことをとことん悩ませてきた。

 

だけれども、私がこれまで一度も行為を経験していないということは、何か意味のあることなのかもしれない。

もしかしたら、私にしか論じることのできないことがあるのかもしれない。

ブログを書き続けている間には、そんな妙な使命感に突き動かされていた時期もあった。

 

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望まぬ形で大好きな相手を傷つけてしまう。

 

自らの安易な選択で、自分も相手も傷つくことになる。

そして、その傷はなかなか癒えることはないのだ。

そんな意図は全くなかったとしても、人と人とはすれ違う。

 

SMAP『セロリ』

「育ってきた環境が違うから、好き嫌いは否めない。

ましてや男と女だから、すれ違いはしょうがない」

 

社会ってものは難しいね。

 

お互いが好きで、行為に及んで、その結果として新しい命を宿して、本来であれば喜ばしいはずのことなのに、それを手放しで喜ぶことはできないのだ。

 

準備ができるまでは、子供ができないような体の仕組みになればいいのだろうけれど、そういうわけには行かない。

それどころか、結婚が遅くなると、望んでも子供のできる可能性は減っていく。

 

人間の体の仕組みが、今の社会の仕組みとは大きくずれているのだ。

人間の体の仕組みを変えることはできないから、社会の方が変わらないといけないのかな。

 

そう考えると、早いうちに性的に自立するということは理に適っている。

むしろ教育の質を高めて、期間を圧縮した方が、人間の仕組みにあった社会体制になるのだろう。

 

資格を取るための期間が長すぎるのだ。

順調に進んだとしても22歳までは学生。

それが一般的な現在の社会体制。

 

それではあまりにも遅すぎるのかもしれない。

「子供が子供のままではいられない社会」は問題だと思うけれど、「大人になってもいつまでも子供扱いをする社会」もまた問題なのだ。

 

性教育の遅れが、もしかしたら間接的に少子化に繋がっているのかもしれない。

 

なんだか、自分の状況を客観的に見てそう感じた。

元カノとは二晩をともにしても手を出せなかった私だ。

私は単に、臆病だっただけなのだけれども、

 

性的にも、精神的にも、

もっと早くに自立できるような教育が必要なのではないかと感じる。

 

自立した個人同士の恋愛。

それが理想であることは間違いない。

 

恋愛を通して学ぶことも多いのだろうけれども、

恋愛自体にも相手に対する責任は伴うのだ。

 

その責任を負う覚悟無くして、

簡単に恋愛関係に進んでもいいのだろうか?

 

相手の人生を背負う覚悟みたいなもの。

そういう覚悟って必要ないのだろうか?

 

お互いが最大限努力した結果として、別れる道を選ぶのならば仕方がないけれど、

初めから快楽を求めて関係を進めてもいいのだろうか?

 

この問題提起は、ある意味では「童貞を貫いてきた」私にしかできないことなのかもしれない。

 

なんちゃって。

少し格好をつけてみた。

 

少なくとも、確かなことは、

「私にはコンドームの使い方がわからない」ということ。

 

これが何を意味することなのかは、

それぞれの捉え方に委ねることとしよう。