ここ最近は、私の「アーカイブ」ともいうべき、私のブログを読み返す機会が多い。
というのも、今会っている女性との関係が進みそうだからだ。
この4年間は本当に色々なことがあった。
実働1年ほどの期間で、20人近くの女性と出会い、そのほとんどと1on1でのデートをした。
結果として、今のところ交際に至った相手は一人もいない。
30代前半だった私は30代後半になった。
ここ最近の記事では、同じような振り返りを続けているけれど、それだけ感慨深いものがあるのだ。
もちろん、今のお相手とうまくいくとは限らない。
私の恋愛は奇跡的にうまくいかないことばかりだから、またもどんでん返しがあるのかもしれない。
過去の記事を読んで思うこと、
手前味噌で恐縮だが、私はなかなか面白い文章を書いていると感じる。
私が過去の私に共感するのは、ある意味では当たり前のことかもしれないが、客観的に見てもなかなかに面白い。
文章の稚拙さや、言い回しの回りくどさを存分に感じるが、それを含めて「等身大の弱者男性」をよく表現できている。
私の倫理観は凡人中の凡人だ。
だから私の執筆する記事は「市井の人代表」みたいな立ち位置であることが多い。
だからこそ、逆に価値があるという面も少なからずあるのかもしれない。
開設当初は感情を書き殴るスタイルだった。
30歳を超えた男の「中二病全開」のあまりにも痛々しい記事たち、
詩のようなものも多く投稿していた。
そこから、本格的に婚活に突入すると婚活ブログと化した。
この辺りの記事たちが、おそらく読み物としては一番面白かったと思う。
アプリを通して、唯一心から惹かれた女性との蜜月、
電話でのやり取りや、手を繋いで帰った日を最後に転落していく様は、ストーリー性も抜群だ。
あの時の雰囲気から、まさか振られるとは思わなかった。
それでも間髪入れずに女性と出会い続ける私。
ストレスからか、謎の痺れに悩まされたり、めまいで倒れて救急車を呼んだこともあった。
命を削ってきた気がする。
私はこの4年間、命を削りながら前に進んできた。
環境も、感情も、
開設当初は想像もしていなかったところまできてしまった。
私は、私の可能性を信じ続けることができたからこそ、私のことを見捨てなかったからこそ、ここまで辿り着くことができた。
本当に色々なことを書いてきた。
嫌と思うほど、自分と向き合い続けてきた。
私は、私であるために必死だったのだ。
そして、私であるままに、ここまで辿り着いた。
何の根拠もないけれど、そんな気がするのだ。
私のナルシシズムも大したものだ。
私は、どれだけ私のことが好きなのだろう。
惨めな思いをして、醜い感情が心の底から湧き上がったとしても、私は私のことを諦めることはできなかった。
それって、もしかしたら長所なのかもしれない。
一番のコンプレックスをブログのタイトルとして看板に掲げ、リアルでは曝け出さないような等身大の気持ちを書き続けてきた。
この先、どこに辿り着くのかはわからない。
辿り着く先があるのかもわからない。
それでも私は、書きたいから書き続けるのだ。
ただ、それだけなのだ。