「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「ちゃんとした人」は嫌われる

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私は周りから「ちゃんとした人」だと言われることが多い。

私としては、あまりそのように思わないのだけれども、それを理由にして女性から振られたことがあるくらいだから、おそらくそういう傾向は強いのだろう。

 

「ちゃんとした人」

 

○やるべき事をやるべき時にやることができる。

○感情に流されずに淡々とタスクをこなすことができる。

○成果に向けての工程を逆算して、順を追って段取りをすることができる。

 

まるで機械のようだ。

私からすれば、理想的に思えるけれど、それを窮屈に感じる人も多いのだろう。

特に女性は、感情の赴くままに行動したいタイプが多い。

 

自分がそういう性質であるならば、自然と周りにもそれを要求することになるのかもしれない。

だから、女性から見た私は重荷となる。

 

「ますをくんが「ちゃんとした人」すぎて、私にはますをくんを支える自信がない」

 

手を繋いで帰ったきり、二度と会うことのなかった女性からは、別れ際に電話でそう伝えられた。

 

そして、今付き合っている彼女とも、そのことが原因で衝突が起こった。

 

もちろん、「ちゃんとしたタイプ」の女性も中にはいるのだろうけれど、私が惹かれるタイプの女性は、決まって天真爛漫な自由人なのだ。

だから、私と女性たちとの間では、いつもこのことで確執が生じるのだろう。

 

「理屈が通用しない」

 

直感的にこっちの方がいいと思うから、こっちを選択する。

とってつけたような説明はできたとしても、そこに言語化できる理由など存在しないのだ。

 

確かに「理屈では示すことのできない正解」は存在する。

直感に従って進んだ先に結果オーライということは、私もこれまで数多く経験してきた。

 

だけれども、それはあくまでもただのラッキーであって、掴み取った正解ではないのだ。

「こうなる運命だった」だなんて思考停止したまま終えることは私にはできない。

 

課題や反省点を分析して次に活かす。

もはや、職業病なのかもしれないけれど、基本的な私のスタンスは、おおよそ全ての事象から学ぶことはあり、それを次の機会に活かしたいと考えている。

その繰り返しで精度の高い選択をすることが可能となるのだ。

 

だから、「なんとなく」で大事な事を選択されて、結果を「運命」だと言われてしまったら、とても調子が狂う。

 

うまくいかなかったことについては、彼女もそこから学ぶスタンスだけれども、うまくいったことは、それがたまたまだったとしても、「運命だった」と手放しで喜び、思考停止する。

それは学びの機会を失うことになりやしないだろうか。

 

そんなことばかりを考えているから、私は「めんどくさい」のだ。

 

知的な印象だった彼女が露わにする、子供じみた主張に疲れながらも、おそらく彼女も私のめんどくささに疲れているのだろう。

 

私たちは、お互いの良いところばかりを見てきた。

だけれども、人間だもの、良いところばかりなはずがない。

 

私たちは、これから先、長い時間を過ごすことになるはずだ。

たくさんのことを擦り合わせながら、先に進み続けるしかないのだろう。