「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

男性の性欲が無くなったら、女性に優しくしない

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表題のことについて論じようと思う。

 

Twitterで少し話題になっている。

「男性の性欲がなくなったら、女性に優しくする事はなくなる」という話。

 

弱者男性代表のようなブログを長年書いてきた私だ。

この手の話題には首を突っ込まざるを得ない。

 

結論から申し上げると、

「男性全体が女性全体に向ける優しさの総量は、間違いなく減るだろう。しかし、優しさの動機は単純に性差で推し量ることはできない。」

月並みで面白みのない落とし所だが、私はそう考える。

 

私個人のことにフォーカスすると、私は「誠実さ」という足枷を自らにかけることで、何度もチャンスを逃して、童貞を貫いてきた男だ。

そんな、この件の影響度が著しく低いと思われるサンプル一つとっても、少なからず「性欲と女性に対する優しさ」の相関関係はあると感じる。

 

しかしながら、相手が女性だから優しくするのかと問われると、そうではなく、単純に私にはできて、目の前の人にはできないことがあるから、その人を手伝うことで優しさを示す結果となる。

そういう場面の方が多いのではないか。

 

身体的な面で、男にできて女性にできないことは多いから、単純に助ける場面が多いだけで、小柄な男が目の前で困っていたら、捨て置くことはしないだろう。

 

人間は、そこまで非常な生き物ではない。

 

つまり、性欲は相手に優しさを見せるための後押しの1つにはなるが、性欲が動機の全てとなり優しくするわけではない。

そういうことだ。

 

しかし反面で、

男の性欲は厄介なもので、草食の権化みたいな私でも、もてあますことは少なくない。

ふと魔が差して、おかしな方向に向かってしまう気持ちは、男ならば誰もが、少なからず理解はできなくとも、全く他人事とは思えないはずだ。

 

だから、それを肯定的に発揮できる場面に出くわせば、そりゃ女性に対して優しくもする。

何も性的な行為に繋がることを期待しなくても、自分が異性から感謝されるということだけで、性的欲求を満たすことはできるのだ。

 

男も女も、自分の性的魅力に自信がない場合がほとんどだ。

いつも不安を抱えながら生きている。

 

男らしさ、女らしさ、

そんな社会的物差しに自分を当てはめて、そこからずれていないかどうか、なんども確認しながら生きている。

 

だから、男が女性に対して優しくする事で、「自分の行いは男として正しい」のだと思うことができれば、それだけで少し自信が持てる。

 

「綺麗でいなければならない」

女性の持つそんな強迫観念。

それと同じように男は「女性に対して優しくしなければならない」

そんな強迫観念が、少なからずあるだろう。

 

性欲だけでは推し量れないもの。

いや、ここまで含めて性欲の範疇なのかは私には判断できないけれども、私が書きたかったことは、「性欲と性行為への期待は、必ずしも一致しない」ということだろうか。

 

「男の性欲イコール性行為への期待」

そんな論調に違和感を覚える。

 

男も女も、自認する性らしくいられることを求めている。

それも性欲ではないだろうか。

 

男チームと女チームに分かれた対立の構図。

そういうのは、そろそろやめた方が良いのではないか。

それに拘っているうちは、ジェンダーレスを掲げながらも誰よりもジェンダーに拘っている、そんな残念な人から抜け出すことはできない。

 

女性には女性の辛さがあり、男には男の辛さがある。

それをお互いに理解はできなくても、ある程度は妥協しながら、共生の道を探ればいい。

 

男の性欲はなくならない。

表に出さないだけで、女性にも性欲はある。

そして、好みの異性から好かれるために優しさを見せることもあるはずだ。

男女差は性行為に対するリスクだけ。

 

男も女も同じ人間なのだ。