「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

恋人から性欲を向けられることに感じる嫌悪感

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私の勝手な妄想に過ぎないのかもしれないけれど、

もしかしたら、私の彼女は「アセクシャル」に近い感覚を持っているのかもしれない。

もし、そうだとした場合に、私は彼女とどう向き合ったらいいのだろうか。

 

面白い記事を見つけた。

ここで登場する女性は、性欲はあるけれども、恋人に対して性的な欲求を持つことができないそうだ。

いまや、「LGBT」では足らず、その他を包括する表現として、「Q+」というものをつけるらしい。

「LGBTQ+」

全くの忖度なく、ヘテロセクシャルである私の視点から率直に意見を述べるならば、「もうなんでもありだな」って、そう感じる。

悩んでいる当人たちには申し訳ないけれど、多様性を認めれば良いということなのだろうか。

 

「性欲はあるけれども、恋人に対する欲求がない人」もいれば、「性欲自体が湧いてこない人」もいる。

「心は女性、体は男性でありながらレズビアンの人」がいたり、あるいは逆も然りだ。

 

アスリートの世界では、「心の性」で大会に参加することで金メダルを獲得したり、公衆トイレや銭湯で、セクシャルマイノリティを理由に、体の性とは違う方を使用することなど、セクシャルマイノリティに対する問題が広がっている。

当人からしたら、由々しき事態なのだろうけれども、それを認めてしまったら全体の秩序が破壊されるという危険性を孕んでいる。

 

人権家たちはさ。

こういう人様の切実な悩みを食い物にしてやいないだろうか。

それを人気集めの道具にしているのだとしたら、控えめに言っても「人間のクズ」だ。

 

これらのマイノリティを選択することは、厳しい言い方をすれば「自己責任」であると私は考える。

「身近な人たちへの理解」を求めるということは、当然、生活をする上で必要なのだろうけれど、それを社会全体にまで広げることは難しい。

マイノリティである自由もあれば、当然マイノリティを否定する自由もある。

厳しいが、それが社会というものだ。

 

私は何度かこの手の記事を書いて学んだことだけれども、セクシャルマイノリティが、脳の気質による先天的な問題であるケースもあるようだ。

私はその点を認識した上で述べている。

先天的であろうがなかろうが、性別に違和感を感じている限りは、マイノリティとしての人生を歩むことを避けて通るわけにはいかないのだろう。

 

生まれつき体の弱い人、

持病を持っている人、

それだけではなく、容姿や家柄、「親ガチャ」なんて言葉が流行ったけれど、生まれてくる環境は自分では選べない。

だからといって、それを嘆いて人生を放棄するわけにはいかないのだ。

 

「自分の人生の責任は自分で取るしかない」

それは私が30代になってから痛切に感じていることだ。

 

少なくとも私は、精神的にも肉体的にも一度ずつ死にかけて、性的弱者として、女性から優しさという名のおやつを搾取され続けても、「私の人生なのだから責任を持って生きるしかない」と、地獄の底から這い上がってきた。

そして、素敵だと思える彼女と出会うところまで来たのだ。

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さて、前置きが長くなった。

私の彼女の話だ。

 

話を聞く限り、皆無ではないのだろうけれど、恋愛は随分とご無沙汰のようだ。

過去に嫌な経験をしたことがあり、男性に対する苦手意識もあるようだ。

 

その辺りまで私に似ているとは恐れ入る。

 

そして、こちらからも性的な目で見る事を憚られるような力強さを感じる。

私は、普通に生きているだけで、女性から好意らしきものを向けられるくらいのモテ男だ。(そう思い込んでおく)

 

だから、デートをしていたりすると、時折、隣に並ぶ女性から性的な熱量のようなものを感じることがあるのだけれども、彼女からはそれを一度も感じたことがない。

 

肩が触れ合うくらいの距離で歩いているのだから、一度くらい感じても良さそうなものだが、彼女がそれを巧妙に隠しているのか。

それともそういう感情自体がないのか。

それは私には判断できないが、今のところ、彼女からそういう様子を伺うことはできない。

 

だからこそ、性的に潔癖なところのある私は彼女に惹かれたのかもしれないけれど、私の方は性欲もあれば、相手に対する欲求もある。

だから、もしも、彼女からその欲求を拒まれでもしようものならば、関係解消すら考えてしまいそうだ。

 

もちろん相手を好きな気持ちはある。

私は、自分の相手に対する感情にとことん誠実でありたいと願い、何度も女性たちと関係を進めるチャンスを逃し続けてきた。

いわば、草食の権化と言ってもいいくらいの「こひつじちゃん」だ。

 

「男は狼なのよ。気をつけなさい」という言葉は私には当てはまらないほどの臆病者、

それが私なのだ。

 

それでも、やはり、恋人やがては夫婦へと関係が進んだとして、性的な欲求を自分に向けてもらえないということは、あまりにも辛いと感じる。

行為だけをすればいいというものでもない。行為を通して心がつながるという感覚を実感したいのだ。

 

「気持ちがある」ように演技する女性もいれば、「気持ちがない」ように演技する女性もいるだろう。

 

人の真意なんてものはわからないのだけれども、もしも、価値観がこの上なく近い相手だとしても、性的趣向のベクトルがお互いへと向いていないのであれば、私にとって、それは関係を続ける上で苦痛に感じること。

 

私が下手くそだから、恋人としての距離が縮まらないのだろうか。

それならばいい。私が努力すれば良いだけだから。

だけれども、彼女の性的趣向の問題だとして、もしもそれを理由に拒まれたとしたならば、私はひどく傷つくことになるだろう。

 

私の方は間違いなく、彼女に対して性的な欲求を抱いている。

果たして、彼女はどうなのだろうか。

 

人間愛のようなものはヒシヒシと感じるし、言葉にしてくれるのだけれども、彼女が異性として私のことをどう思っているのか。

 

私には、それを読み取ることができない。

 

付き合ってしまえば、自然と距離は縮まると考えていたけれど、こじらせたもの同士だから、そう簡単には行かないのだ。

 

私はこれから先、どのように距離を縮めていけば良いのだろう。

困ったものだ。