先日、社内で研修があった。
ただ講義を聞いていればいい、という甘っちょろいものではなく、1日のほとんどがグループワークによる演習だ。
私はグループワークでは、終始存在感を示すことができていたが、発表の場ではあまり発言をしなかった。
タイミングを逃したり、タイミングはあったけれど、別の人と聞きたい内容が被ったり、
そんな調子で全体の場では存在感を示すことなく研修は終わってしまった。
その後に私が感じたこと。
全体的にグループに貢献することはできたが、それが評価につながることはなかったのではないか。
一言でも全体の場で発言をしておけば良かったな。
とそう感じた。
一歩を踏み出そうかどうか悩んで、その結果として「踏み出さないこと」を選んだ時、私の気質は「後悔」が大きくなる傾向が強い。
そのときは楽をできたとしても、後から「あれでよかったのか」と自問自答。
それにリソースを割かれるのであれば、失敗したとしても、その場で挑戦した方がよほど有意義なのだ。
私は今回の経験を通して、それを学んだ。
これは、個人の気質によるのかもしれないけれど、私は、まだまだ人生を楽しみたいと考えている。
そのためには、まだまだ経験を集める必要があるとも考えている。
これから先、後悔のない歩みを進めるために、私の望む道では、挑戦することを求められ続けるのかもしれない。
私が私という人間を形作る過程で、おそらく挑戦した方が長期的には自分にとって得となることを経験的に理解したのだろう。
だから、挑戦の場を与えられたのに、そこにのっからなかったことを、私は後悔する。
何とも厄介な望みを持ってしまったものだ。
だけれども、私が後悔をしている以上、私の気持ちはそちら側に向いているのだから、こればかりはどうしようもない。
これからも、私は挑戦の機会を目の前にして、葛藤しながら生きるのだろうか。
「挑戦した方がいい」
今回感じた後悔を教訓として、一歩踏み出すことができるようにしよう。
そう思った。