疲れに疲れているのに、テンションは上がっていく。
普段は寝ているはずの夜中に行動すると、不思議と高揚感が湧いてくるのだ。
夜の魔力、
それが人に与える影響力は少なくない。
不安や恐れと同時に、
興奮と喜びを与えてくれるのだ。
まるで躁鬱病のように、
人の心を上下に大きく揺さぶり支配する。
そんな魔力を「夜」は持っている。
「経験」というものは、それ自体が人生にとって得難い教訓を与えてくれる。
主体的に生きているほど、多くの経験を手にすることができる。
その一つ一つを己の糧にして生きて行く。
それを意識して生きるか否か。
10年後には大きな差となって人生に現れる。
私は現在、10年前からの確かな歩みを実感している。
そして、10年後には確かな歩みを実感したいと考えている。
「振れ幅の大きな経験をしたい」
そう思って生き、そう行動して生きる。
いわゆるパラダイムシフトを数多く経験している人は力強い。
経験的に、「どのような環境でも生きていける」と、自信を得ることができるのだろう。
私にとって昨年の転職は、紛れもないパラダイムシフトだった。
苦労は大きいけれど、手に入れたものも大きい。
私はビジネスマンとして、一段飛ばしで階段を駆け上がる実感を得ている。
元々の気質として、私は課題を与えられ続けることを好むのだろう。
だから、忙しさに振り回されている自分が好きだ。
そこから「生きている実感」を拾い集めているのかもしれない。
あとは負荷がかかりすぎないように、壊れてしまうギリギリのところにチューニングしながら進むしかない。
おそらくそこが、最も成長できるゾーンなのだ。
一度メンタルをやってしまった経験から、メタ認知に抜かりはない。
ギリギリのところを攻めながら、まだしばらくは歩み続けることになるだろう。
経験の生み出す自信は、一朝一夕で身につくものではないが故に、人の心に深く大きく根を張る。
自らの「恐れ」をやり込める蛮勇ではなく、やるべきこととして淡々と戦闘を走り続ける。
そんな「恐れのない人」は、経験に基づく裏付けがしっかりしている。
ブログ初期に書いた「ぶっつけ本番力」
私はそういう力の必要性を強く感じていた。
だからこそ、厳しい環境に身を置くことを意識してきたし、文句を言いながらも、やるべきことを淡々とこなしてきた。
そして、今は文句を言うこともなく、割り当てられた苦労を、自分にとっての糧にするためにはどうしたらいいのかと、強い主体者意識が芽生えていることを感じる。
転職してからの私は、ビジネスマンとしてのみならず、人としても大きく成長できていることを実感する。
だからこそ、高揚感が湧いてくるのだ。
経験したことのない場面に直面すると、高揚感が湧いてくる。
それは、この経験が、自らの成長へとつながることを確信することから湧き上がってくるものなのだろう。
やはり、私は「成長フェチ」で「努力依存症」
何度かブログに書いてきたけれど、そういうことなのだろう。
地に足つけながら、ギリギリのところを攻めていきたい。
このブログは、私の感情を嘘偽りなく書き綴る、私の心のキャンバスだ。
ここ最近の記事を読み返してみると、私から愚痴が全くと言っていいほど出ていないことに気がつく。
今の私は満たされている。
心から満たされている。