多くの人にとって、人生で一番高い買い物は「住宅」だろうか。
はたまた「車」だろうか。
「趣味のもの」や「ジュエリー」だという人もいるだろう。
先日、私にとって、この人生で一番高い買い物記録は更新された。
買ったものがなんだったかは、おそらく皆さんの気になるところだろう。
それは、形のないものだった。
そして、皆の笑顔を生み出すものだった。
しかし、皆の懐を少し寂しくするものでもあった。
察しの良い人ならば、これだけでご明察かと思うが、私にとって人生で一番高い買い物は「結婚披露宴」となった。
一括クレジットでうん百万円。
開催時間にして3時間ほど。
冷静に考えると、ものすごく大きな散財だ。
もちろん準備期間は長いこと費やしたが、私はこの3時間のために、うん百万円を費やしたことになる。
時間単価は百万円を超えている。
こんなお金の使い方をすることは、後にも先にもこの時だけだろう。
これまでお世話になった人たちに対する感謝。
そして、これからお世話になることに対する感謝。
ある種の「お約束」でもある、
この結婚披露宴というイベント。
合理化ばかりが進む世の中で、若い世代には徐々に敬遠されつつあると聞く。
しかしながら、実際に自分でやってみて、こういう経験は一度してみるのも悪くはないと感じる。
夫婦の絆を確かめるため?
両家の親族に対する筋を通すため?
それらももちろん理由として大きなものではある。
しかし、「自らがこれから夫婦として相手と生きる覚悟を示すため」ということが、終わってみて感じる私の中での大きな意義づけだった。
「結婚披露宴」は形のないものだ。
写真や映像として記録には残ったとしても、
終えてから先の人生に形あるものとして、私たち夫婦を支えてくれるわけではない。
しかし、このイベントを2人で築き上げたという思い出は、間違いなく2人の中で、その後を共に生きるためのマイルストーンとなる。
結婚してから長い年月を経た私の両親。
今回のイベントに際して、自分たちの披露宴の写真を見せてくれた。
それを眺めながら思い出を語る2人の姿は、どこか誇らしげに映った。
私たちも数十年後に、自分たちの子供に対して、この日の思い出を語る日が来るのだろうか。
私たちは、大きな仕事を一つやり遂げた。
これから先も大変なことばかりだろうけれども、結婚披露宴をやり遂げたという、ある種の成功体験は、私たち夫婦の心が離れてしまいそうな時に、重しとなって2人の上にのしかかり、私たちの距離をキープしてくれることだろう。
ケチな私からすれば珍しい、
酷くコスパの悪い「結婚披露宴」という人生で一番高い買い物。
その価値は「プライスレス」だから、決してコスパを算出することはできない。
もしも、そのコスパを見出すことができるとするならば、これから先、私たち夫婦がどのように時を刻むのか、
それを元手に長い年月をかけて、算出する必要があるのだろう。
「人生で一番高い買い物」
それを更新する日は来るのだろうか。
そして、その時に隣にいるのが、笑顔の妻出会って欲しいと願う。
私の人生は続いていく。
私だけの人生ではなくなって、
これから先も続いていくのだ。