目まぐるしく動いていた私の人生。
まだ残響は残っているから、年内は大変だけれども、ひとまず大きな山は乗り越えた。
これから先の私たちはどのような歩みを続けるのだろうか。
トラブルととも生きることを覚悟する必要がありそうだ。
私の妻は妥協を知らない人だ。
いや、妥協することは多いが、スイッチが入るとオフにはできないといったところだろうか。
「人生をとことん楽しみ切りたい」
そんなことを平気で言う。
そして、私は妻のスイッチが入るタイミングをまだ理解できていない。
人生における大事な瞬間はもちろんだが、そうでもない時でもスイッチが入ることはある。
かと思えば、私がどう考えても大事だと思うタイミングでも、スイッチが入らないこともあるから難しい。
つまり自由人で、己の気の向くままに生きているのだ。
本人は巻き込むつもりなどなくても、夫である私は自然と巻き込まれることになる。
「ごめんね」と口では言いながらも、どこか織り込み済みな妻の様子を見ると「やられたな」と思いながらも、課題を与えられることが嫌いではなかったりもする。
要は、私たちは似たもの同士なのだろう。
妻がそんな様子なものだから、私も妻に対する要求は高い。
しかし、どこか嬉しそうに妻はそれを受け止めるのだ。
それを見て、私も妻の要求を蔑ろにできないと感じる。
そうやって、お互いがお互いの理想に応えていくうちに、少しずつ理想の夫婦へと近づいているのだろうか。
「生活を良くしたい」
お互いの利害関係は概ね一致している。
「とことん人生を楽しむためには、とことん苦労する必要があること」を、口に出さなくてもお互いが共有しているのだろう。
その感覚はどこか心地良い。
そして、妻は自由に生きているようで、私のことを「主人」だと立てくれる。
私には逃げ場はないのだ。
妻の理想と私の理想。
それに向かって進み始めた公園のボート。
長い道のりを越えるためには、乗り物もアップグレードしていかなければならない。
野心なんかサラサラないタイプの人間だった私だけれども、理想を叶えるために必要な分の野心は、持たなければならないのかもしれない。
「実力があれば立場はついてくる」
それは、ある程度は正しいけれど、そこから先に進むためには、運と意思が必要なのだ。
「そこそこで良い」と思っていた私の人生は、妻と一緒になったことで、そこから先を見据えることになったみたいだ。
今は、あまり先のことは考えたくない。
しかし、波乱の予感はヒシヒシと感じている。
休めるうちは休もう。
そう。今は休むべき時なのだ。
私たちは、どこまで進むのだろうか。
結婚相手が、ここまで私の人生に大きな影響を及ぼすとは、あまり考えていなかった。
まぁ、私がお願いして一緒になってもらったわけだから、それは仕方がない。
こうした荒波も楽しんで進めるくらいに、大きな人間へと成長しよう。
今はまだ、そう思えている。