「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

少しだけ落ち着いた

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目まぐるしく動いていた私の人生。

まだ残響は残っているから、年内は大変だけれども、ひとまず大きな山は乗り越えた。

 

これから先の私たちはどのような歩みを続けるのだろうか。

トラブルととも生きることを覚悟する必要がありそうだ。

 

私の妻は妥協を知らない人だ。

いや、妥協することは多いが、スイッチが入るとオフにはできないといったところだろうか。

 

「人生をとことん楽しみ切りたい」

そんなことを平気で言う。

 

そして、私は妻のスイッチが入るタイミングをまだ理解できていない。

人生における大事な瞬間はもちろんだが、そうでもない時でもスイッチが入ることはある。

 

かと思えば、私がどう考えても大事だと思うタイミングでも、スイッチが入らないこともあるから難しい。

つまり自由人で、己の気の向くままに生きているのだ。

 

本人は巻き込むつもりなどなくても、夫である私は自然と巻き込まれることになる。

「ごめんね」と口では言いながらも、どこか織り込み済みな妻の様子を見ると「やられたな」と思いながらも、課題を与えられることが嫌いではなかったりもする。

 

要は、私たちは似たもの同士なのだろう。

妻がそんな様子なものだから、私も妻に対する要求は高い。

しかし、どこか嬉しそうに妻はそれを受け止めるのだ。

それを見て、私も妻の要求を蔑ろにできないと感じる。

 

そうやって、お互いがお互いの理想に応えていくうちに、少しずつ理想の夫婦へと近づいているのだろうか。

 

「生活を良くしたい」

お互いの利害関係は概ね一致している。

 

「とことん人生を楽しむためには、とことん苦労する必要があること」を、口に出さなくてもお互いが共有しているのだろう。

 

その感覚はどこか心地良い。

そして、妻は自由に生きているようで、私のことを「主人」だと立てくれる。

 

私には逃げ場はないのだ。

妻の理想と私の理想。

それに向かって進み始めた公園のボート。

 

長い道のりを越えるためには、乗り物もアップグレードしていかなければならない。

 

野心なんかサラサラないタイプの人間だった私だけれども、理想を叶えるために必要な分の野心は、持たなければならないのかもしれない。

 

「実力があれば立場はついてくる」

それは、ある程度は正しいけれど、そこから先に進むためには、運と意思が必要なのだ。

 

「そこそこで良い」と思っていた私の人生は、妻と一緒になったことで、そこから先を見据えることになったみたいだ。

 

今は、あまり先のことは考えたくない。

しかし、波乱の予感はヒシヒシと感じている。

 

休めるうちは休もう。

そう。今は休むべき時なのだ。

 

私たちは、どこまで進むのだろうか。

結婚相手が、ここまで私の人生に大きな影響を及ぼすとは、あまり考えていなかった。

 

まぁ、私がお願いして一緒になってもらったわけだから、それは仕方がない。

こうした荒波も楽しんで進めるくらいに、大きな人間へと成長しよう。

 

今はまだ、そう思えている。