コロナ禍による入場制限に加えて、テレワーク下火の影響で出勤率が増えたことにより、休憩時間になると喫煙所の前は長蛇の列となる。
傍から見ると、これに並ぶだけで休憩時間が終わってしまうのではないかと思うから、辞めればいいのに、と思うくらいなのだが、当事者からしたらそういう訳にはいかないらしい。
喫煙者にとって、喫煙は水を飲むのと同じように、必要不可欠なものなのだという。
そこで繋がった縁からビジネスに繋がったり、喫煙所で有力者と共にする時間が出世につながるという、「喫煙所の交流」などと眉唾な話もあるのだが、実際のところは、喫煙を肯定したいがためのストーリーだろう。
お金がかかり、健康にも良くない。
しかし、それをしないことにより、ストレスが溜まるのであれば、それをした方が寿命は長くなる可能性もあるのだから難しいところだ。
詰まるところ、最初から喫煙しなければ良いのだが、一度経験してしまったことを無かったことにはできない。
そうやって、喫煙者たちは半ば強制的に喫煙に色々なものを搾取されることになるのだ。
どちらが幸せなんだろうね。
「喫煙者」もある意味ではアイデンティティの一つである。
それをステータスにしている人もいる。
だから、それが人生の満足度につながっているのであれば、あながち喫煙自体が人生にとって「悪」とは言えない。
非喫煙者からしたら、やめた方がメリットは大きいと思うのだけれども、それも主観でしかないのだから、あとは本人次第ということになる。
人生なんてものは、どこまで行っても自己満足なのだ。
本人が幸せであれば問題ない。
あとは、周りに度し難い迷惑をかけないこと。
「こうしなければならない」
「これが正解」なんてものは存在しないのだ。
数ある選択肢の中から選び取ったものを全力で遊び倒す。
その繰り返しの中に「生きている」という実感があるのかもしれない。
自分の人生を肯定し続けることができれば、おそらく喫煙所に並ぶ時間も、本人にとっては有意義なものとなるのだろう。
長蛇の列を横目に、ふとそんなことを考えた。