記事にするかもしれないが、先日はフェスに参加してきた。
屋内で開催されたもので、多くのアーティストが入れ替わり立ち替わり、延べ6時間にも及び演奏するという、かなり若者向けの企画だった。
私の隣に座った男子は、おそらく10代後半から、高く見積もっても、20代前半くらいだったように思う。
そんなティーンエイジャーと思しき彼は、アーティストが登場するたびに大盛り上がりなのだ。
その姿を見た私は「若いってすばらしいな」と思う。
好きで参加したフェスなのに、私の心は思うほど躍動しなかった。
入場から長蛇の列で、入るまでに40分ほど並び、その末に辿り着いた席はパイプ椅子だった。
結構な金額の入場料だったけれど、席がパイプ椅子とは驚いた。
チャージ料まで取られる。
350円で買わされたレッドブルを片手にアーティストを冷静に眺めている私を横目に、ティーンエイジャーの彼は常にノリノリで大はしゃぎなのだ。
メインの「Mrs. GREEN APPLE」が登場するや否や、彼は涙声で声援を送る。
同じ入場料を払っても、得られる感動の量は違う。
経験というものは、若ければ若いほど価値のあるものとなりやすいのだろう。
そう考えると、金銭的なコスパの悪さに目を向けたり、最後は疲れ切って翌日のことばかりを考えるような私には、もはや若者向けのイベントはコスパが悪いのだろう。
「そういう歳になってしまった」
私は私で、それなりに楽しむことはできた。
それでもティーンエイジャーの彼と並んだ自分を見ると、心が躍動しない、枯れた歳になってしまったと、そう感じる。
妻はノリノリで楽しそうに過ごしていた。
私と年はそう変わらない。
結局は、気持ちの持ちようなのかもしれないな。
私には体力がない。
だから、リソースの配分だったり、家にたどり着くまでのことや翌日の予定のこと。
そんなことばかりを考える。
私は「今」を真剣に生きることができていないのかもしれない。
涙声で「Mrs. GREEN APPLE」に声援を送り、一緒に歌うティーンエイジャーの彼を見て、私は羨ましく思った。
私が失ってしまったものが、そこにあったのだ。
ただ毎日タスクをこなし続ける日々が、私の心を枯らすことに拍車をかけている。
もう元には戻らないのだろうか。
それとも、さらに歳をとって死を実感する年齢になると、また感情を取り戻すことになるのだろうか。
とにかく、今の私は心を殺しながら、ただ耐えて日々を送っている。
いつまで続くのだろう。