歴史が証明している。
主義も主張も違う集団を結束させるためには、
わかりやすく「外的」を作ることが手っ取り早い。
中国も韓国も、現在進行形でそれを行っている。
あるいはアメリカも日本も同じなのかもしれない。
あるアイデンティティを共有する集団が、そのアイデンティティを守るために結束して外敵に立ち向かう。
ある意味では、それは集団にとって必要なことなのかもしれない。
岡田斗司夫さんの動画で面白いことを言っていた。
「ガンダムにおけるジオン公国は、内部崩壊を起こさないために独立戦争を仕掛けるしかなかった。」
地盤が不安定であればあるほど、雨降って地を固めるために、戦争を起こす必要があるのだ。
「なんだかな」と思う。
それは、わかりやすい外敵がいたら、それに立ち向かうため強制的に近い人たちと結束を深めるしかなくなる。
それはわかるけどさ。
敵を作らないで結束を深める方法はないのだろうか。
同じようなことに興味がなかったとしても、主義主張が異なったとしても、その人たちが危機感から生じるものではない一つの目的に向かって結束を深めるための方法はないのだろうか。
人は愚かな生き物だから、自らの存在を脅かされないと、他人と手を取り合って協力することはできないのだろうか。
それでは、利害関係だけで終わってしまう。
新型コロナウイルスという、未曾有のパンデミックに瀕した時、人類はウイルスに立ち向かうために、手を取り合って結束を深めたはずだった。
しかし、コロナ禍が終わるや否や、ロシアはウクライナに侵攻を始めた。
利害関係だけでの繋がりは脆い。
机の上では手を握りながらも、机の下では足で蹴り合いをしているのだ。
誰が危機を脱した後の主導権を握るのか。
それが何よりも重要。
危機を脱した途端に、自らの力を誇示するために、握っていたはずの手で殴り合いを始める。
なんて愚かなんだろうね。
滅びるまでわからないのかな。
「手に入れないと満たされない」
自分で自分の人生を満たしてあげる手段に乏しいから、際限なく手に入れたがるのだろうか。
それとも、民衆の機体を一身に背負うことで、その機体という名の重圧が、人の心を狂わせるのだろうか。
いずれにしても、武力による解決で苦しむのはいつも民衆だ。
「誇り」よりも「生活」が大事。
生活が貧しければ貧しいほど、その人たち自身にとって自らの命の価値が下がっていく。
だから「誇り」のために命を捨てることに抵抗がなくなってしまうのだ。
「自らの命」は大事。
そして「他人の命」も同じくらいに大事。
誰にもそれを脅かす権利は存在しない。
それぞれがそれぞれの立場で、他人の存在を脅かすことなく、自らの人生を豊かにする努力を続けることができたならば、一時的な争いはあれど、イスラエル問題のように何十年も殺し合いを続けることはないのかもしれない。
人の価値は人それぞれ。
命より大事なものも人それぞれ。
だから、人の心は難しい。