自分よりも大きな「命」に触れることで、
「自分の命」のすり減ったところを修復する。
「あるべき命の形」
人は自らが作り上げた「社会」に適応しようとするあまり、
本来自らの持つ命の形から、大事なところを少しばかりすり減らして、
決まった形に収めようとする。
そうしているうちに、
元々持っていた「命のかたち」を忘れてしまって、
無理やり枠に当てはめた「命のかたち」を自分のものだと思い込んでしまう。
元ある「命のかたち」を思い出すためには、
自分よりも大きな「命」に触れて、
自分の命と照らし合わせて確認する必要がある。
ここから先は自分次第。
確認した結果、
それでも「今の命のかたち」が正しいと思えば、
それで良し。
それで「今の命のかたち」が歪だと感じたならば、
どこが歪んでいたのか、なんとなくわかるようになる。
「自分の存在の先にあるもの」
人は誰しも「自分の人生」を生きている。
いつも主役を演じていなければならないし、
価値判断の基準は、どうしたって自らの経験をもとに構成される。
だけれども、一歩引いて自分を見つめ直した時に、
それまで積み重ねてきたもの、
必死で守ってきたものがどれだけちっぽけだったのかと感じることがある。
誰かの人生を代わりに生きることはできない。
誰かに代わりに自分の人生を生きてもらうこともできない。
人生に「答え」などないのだ。
そんな簡単なことを忘れて、
必死に何かを守りながら生きるようになる。
守っているものに、
どれだけの価値があるのだろう?
そんな簡単な問い一つで、
あるべき「命のかたち」を思い出すことができるのかもしれない。
「人生の豊かさ」とは、
今の「命のかたち」と、元々の「命のかたち」に、
差がないことで得られるものなのかもしれない。
先日は、久しぶりに星空を眺めて、
そんなことを考えた。