ひっちゃかめっちゃかになっていた生活。
それが少し落ち着いてきた。
そうすると、やるべきことが見えてきて、後はそれに取り組むだけとなる。
先の見通しが立たない時ほど不安なものはない。
翌日もどうなるかわからない。
その繰り返しの中で生きていると、自然と先のことを考える余裕はなくなり、その日暮らしを繰り返すことになる。
結果として、主体性は失われて惰性で生きるようになるのだ。
「そうせざるを得ない時期」があることは仕方がないけれども、いつまでもそのままでいるわけにはいかない。
どんなに見通しが立たなかったとしても、それなりに生活を整えていくしかないのだ。
子供が生まれたら、今よりもずっとコントロールの効かない日常になるのだろう。
3人の子供を育てた先輩の話を聞くと、10年くらいは何をしていたか記憶がないくらい忙しかった、とのことだ。
当然自分の時間なんてほとんどない。
とにかく一日中動き回って、子供と一緒に倒れるように寝て朝を迎える。
その繰り返しだった、ようだ。
私もそういう生活の中に向かっているのだろうか。
今でさえ忙しさに押しつぶされそうなのに、私の体は持つのだろうか。
今はそんなことを考える余裕がある。
実際に生まれてみたら、そんなことを考える余裕もない生活に入るのだろう。
生活をチューニングするしかない。
まだまだ調整の余地はあるはずだ。
先のことを見据えて時間を効率よく使うためのチューニングを進めるしかない。
今は大事な時期。
これから先の10年に向けて、私は自分の時間を捨てなければならないのだろう。
なんとか生き残りたいものだ。