「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

自分の人生を生きる

f:id:tureture30:20221216071635j:image

 

ただ日々が流れていく。

忙しさにかまけて、「学び」を忘れてやいないだろうか。

せっかく苦労するのであれば、その苦労を血肉に変えたい。

 

私は今、今までに経験したことのないことをたくさんしている。

これは、ある意味ではチャンスだ。

これをどのように捉えるかで、この先の人生が大きく変わる気がする。

 

今は、ブログを毎日更新することがやっとだけれども、腰を据えてじっくりと考えたいことは山ほどある。

今の私には、それを考えるだけの余裕がないのだ。

 

ここ最近は、ブログで交流していた方達がブログから離れていった。

私も他の方たちのブログを訪問する回数が少なくなり、傍から見たら同じようにブログから離れているように見えるのかもしれない。

 

落ち着いたら、また精力的にブログに取り組むことができるのだろうか。

それとも、私の生活が落ち着くことなどないのだろうか。

はたまた、他のことに夢中になるのだろうか。

 

思えば、このブログを始めて4年9ヶ月となる。

連続更新日数は間も無く1600日となる。

今の私は、ブログを続けるためにブログを書いているのかもしれない。

 

繰り返しになるが、じっくりと考えたいことは山ほどあるのだ。

そして、これまでの私は、そういうことのほとんどをブログで綴ってきた。

だけれども、今はそっちの方向に気持ちが向かわない。

 

時間的な制約が要因だということはもちろん、あるけれど、それだけではないような気もする。

 

時間に追われている。

私も知らず知らずのうちに、時間泥棒に時間を奪われているのだろうか。

 

たくさんのことを詰め込んで、それを成長の機会だと思い込んで、とにかく目の前の課題をひたすらこなしていく。

 

私は、私の人生を生きているのだろうか。

私が決断した選択の先にあるもの。

私は、それを私が掴み取ったものだと思い込みたいだけで、常に自問自答しながら生きないと、どこかで誰かに時間を奪われながら生きることになるのかもしれない。

 

「時間の使い方」

 

ここ最近、このことをよく考える。

私に与えられた残り時間は、あとどれくらいなのだろうか。

私に課せられた「使命」は、あとどれくらいあるのだろうか。

そして、それを差し引きして、私が自分で使い方を考えるべき時間は、どれくらいなのか。

 

忙しいと、時はあっ、という間に過ぎていく。

歳を取れば取るほどに、時の流れは早くなる。

 

人生というものは、私が思っているほど長くはないのかもしれない。

それならば、毎日を喜びながら、楽しみながら生きたい。

そういう時間の使い方が、おそらく私の血肉となるのだ。

 

私は私の人生を生きる。

そのために、「今を楽しむ」のだ。

どんなに忙しくても、今を大事にしたい。