特に私の環境に大きな変化はないけれど、大きな変化によって私の近くに来た人はいる。
そういう人の「挑戦」の息吹に触れると、変化のない私も少しは触発を受ける。
人は「縁」によって変わる。
よく言われることだけれども、それは確かなことなのだ。
「惰性」で生きている人に囲まれて過ごしていると、なかなか「惰性」から抜け出すことは難しい。
「挑戦」の中で生きている人ばかりの環境にいると、自然と「挑戦」の方向に心は向く。
その積み重ねの中で人格は培われていき、大人になってからも後天的に性格は変わるのだ。
どのような環境に身を置くかで人生が変わると言っても過言ではないのかもしれない。
私は「心理的安全性」のある職場から、それのない職場へと転職した。
そのことで力は身についたと感じるが、ストレスも比例して増えたように思う。
自らに負荷を与えなければ成長はない。
潰れてしまわないギリギリなところを攻めて生きてきた人が、おそらく一番成長速度は速いのだろう。
しかし、歳とともに体は衰えていく。
そのギリギリの際を見間違えると、心と体は強制的にシャットダウンしてしまう。
歳を取れば取るほどに、セーフティリードで進まなければならないのだ。
そうやって歳と共に成長は鈍化していく。
それが私の実感だ。
今は多少、無理をする時期。
私の人生において、無理を求められる時期なのだろう。
そうする中で、器を広げていかなければならない。
人は死ぬまで器を広げていく必要があるのだ。
過去の栄光にしがみついて、後ろばかりを振り返りながら生きるような人生は歩みたくない。
例え、鈍化したとしても、常に自分なりに成長をし続けられるような人間でありたい。
全ての物事から学びはある。
全ての人から学びはある。
バランスを保つことの難易度は、歳と共に上がる一方だけれども、そこをくぐり抜けることもまた人生の醍醐味かもしれない。
さて、新年度。
私の忙しい一年が本格的に幕を開ける。
今は、忙しい。
そういう時なのだ。