「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

カップルがいちゃついているのを見ても、心がささくれ立たない

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これが「既婚者」としての心の余裕だろうか。

 

道端でいちゃついているカップルの姿を見て、

前ならば、ささくれ立っていたはずの心が穏やかだということに気がつく。

客観的に見て、これは大きな変化だと感じる。

 

私はもう、前の私ではないのだろう。

そして、余計なことを考える必要がなくなった。

 

とりあえず、今は先のことだけを考えていればいい。

先のことが見えなくて、悶々とする必要などないのだ。

それだけでもQOLは大きく向上する。

 

「頭打ち」のような感覚。

ある程度歳をとって未婚だと、よほど夢中になれることがない限り、誰しもそれを感じるのだろう。

 

私の場合は、コロナ禍による制限や、仕事が落ち着いていることも重なって、一層それを感じていた。

 

そこから一歩踏み出して転職したところから、運命は大きく動き出した。

直接的な関係はないのだけれども、妻との出会いは、私が環境を変えたことで舞い込んだ奇跡だと感じている。

 

この感覚は、いつまで続くのだろうか。

新婚の感覚が落ち着いたら、私はまたカップルを見たときに、心をささくれ立たせることになるのだろうか。

 

人は「満たされていない」と感じ続けると、徐々にどこかおかしくなっていく。

 

私は、かなりおかしくなっていたのだろう。

去年のクリスマスイブに、仕事終わりカップルの群れが邪魔すぎてぶつかりながら帰った、なんて、

そんなことを書いていた。

 

それと比べると、一年も立たないうちに、大きく心境が変わったものだ。

今年のクリスマスイブに、私はどのように過ごすのだろうか。

相変わらず忙しくしているのだろう。

 

今のところ落ち着く気配はない。

私の人生は、これから先もしばらくは、忙しなく先に進んでしまうようだ。

 

「モラトリアムの終焉」

本当にいよいよ、なのだと感じる。

 

随分と長かった。

私は長いこと子供でいられた。

それは有難いことなのだろう。

 

ここから先は、もう少し大人にならなければならないのかもしれない。

ライフステージが先に進むということは、成長を求められることでもあるのだ。

 

私は人生から、また新たな課題を突きつけられた。

その課題をクリアしないと、また新たなステージに到達することはできない。

 

結局は、その繰り返しなのかな。

そして、嫌でも課題は目の前に現れる。

 

誰かが代わりに、自分の人生を生きてくれることなどない。

自分の人生には、自分で責任を取るしかないのだ。

 

幸せな時、苦しい時、

それは千変万化していく。

 

人目を憚らず、いちゃついているカップルも、

いつまでもその関係を維持することはできないのだ。

人は、いつまでも変わらずにいることはできないのだ。