「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

忙しすぎても閉塞感を感じる

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人は、成長を実感できないことに閉塞感を感じると考えていた私。

しかし、忙しすぎても閉塞感を感じると知った。

 

先日の記事にそのようなことを書いたが、少し掘り下げてみたい。

 

転職前の私は、コロナ禍だったこともあり、仕事もプライベートも閉塞感を感じていた。

新しいプロジェクトが進行することもなく、ただテレワークで通常業務をこなしていれば事足りたし、プライベートでも熱を入れていた婚活を休止して、特に休日にやることもない。

 

そこから意を決して一歩を踏み出し、転職という大きな決断をした。

そこから先の私の人生は激動だ。

仕事が忙しいのみならず、プライベートでも縁に恵まれて結婚に至る。

少なくとも、ここ2年ほどの私は変化変化に対応することで手一杯だ。

 

次から次へと降り注ぐタスクに追われて、とにかく「やらなければならないこと」を次々にこなしている。

その繰り返しの中で時は過ぎていく。

 

「いつだって人は無い物ねだり」

望んで手に入れた環境のはずなのに、気がつくと忙しさに忙殺されている。

そうすると、今度は忙しいことに閉塞感を感じてくる。

 

果たして自分が望んだ環境は、ここだったのだろうか。

そんな考えに支配される。

 

なんとも身勝手なものだ。

しかし、湧き上がる感情は仕方がない。

それをなんとかして飼い慣らすより他にないのだ。

 

人は、いつまでも状況が変わらないことに耐えられないのだろう。

それが暇であったとしても、忙しかったとしても、同じような状況が続くことに、人は耐えることができないのかもしれない。

 

「生きることに意味を求める生き物」

 

人は唯一、生きる意味を考える生き物だ。

楽しく欲求を満たしながら時が流れるだけの人生に価値を見出すことが難しい。

「良く生きよう」だとか「人のために生きよう」だとか、難しいことを考えすぎるあまり、自分が楽しく生きることを忘れているのかもしれない。

 

もう少し生物的な本能に身を委ねるべきなのかもしれない。

SNS全盛の時代。

少しのしくじりで人生が終わるような恐ろしい時代だ。

 

だから、みんな保守的に社会的に生きる。

まるで正解はひとつしかないかのように、学校で教えられた道徳を大事に抱えながら生きている。

 

それが悪いとは思わないけれど、どこを切っても同じ顔が出てくるような、金太郎飴の人生に疑念を持つことから始めることもまた、人生を楽しむために必要なことなのかもしれない。

 

楽しむことが苦手。

少なくとも私はそうだ。

一度きりの人生。

悔いのないように生きたい。