相手先が「それで良い」「問題ない」と言ってくれているのに、敢えて「それではいけない理由」を探して、相手先に突きつける人がいる。
はっきり言って何がしたいのかわからない。
自分は他の人が誰も気が付かないことに気がついている、というアピールなのか。
そうした自己顕示欲を満たすことが目的ならば、甚だ迷惑だ。
ステークホルダー間では、それで良いとなったのだから、それで進めれば良いではないか。
それを蒸し返して、もしかしたら問題があるかもしれないと、慎重になりすぎるあまり、それに付き合う人は、無駄な時間ばかりを費やすことになる。
相手先も辟易している。
フロントに立っているのが私だから、その様子はよくわかる。
本人も「自分は相手先との関係をうまく築くことに向いていない」と、過去にそう言っていた。
そういう自覚はあるらしい。
それでも気がついたことは、指摘せずにはいられないのだろうか。
それで事はややこしくなる。
対応に追われる私の身にもなってほしい。
それこそ、80点が合格点のテストで、1時間を費やして80点の成果物を作り上げたが、それに納得できずに、3時間を費やして90点の成果を作ろうとしているようなものだ。
差分の2時間は必要な時間なのだろうか。
私には、とても必要だとは思えない。
「間違いがない」
それはとても大事な事だ。
減点方式で評価される職場では、尚のこと大事なのだろう。
しかし、そればかりにこだわっていると、無駄な時間ばかりを費やして、残業はどんどん増えていく。
「精度」と「時間」は、多くの場合トレードオフなのだ。
それに、失敗しないようにばかり仕事を進めていたら、失敗した時のレジリエンスが育まれなくなる。
私は、どんどん挑戦して失敗したらまたその時に考えればいいと考えている。
その辺りが、彼と私の間の溝となっているのだろう。
ギスギスした様子が表面化してきた。
当の本人たちはあまり気にしていないと思うが、周りから見て気になるほどのようだ。
あまりよろしくない傾向ではある。
私が変わらなければならないのだろうか。