今の私は自信を喪失している。
不思議なことに、そうなると自分の能力が低下したように思える。
何をしていても、力不足だと感じるし、何をしていても手応えがない。
モヤモヤした感情が常に渦巻いている。
これは「不安」からくるものなのだろうか。
子供が生まれて生活が大きく変わることで、見通しのたたなくなる将来のことを考えているからなのだろうか。
今の生活も結構ギリギリでやりくりしている。
それが子どもを中心とした生活に変わるのだ。
果たして私の体は持つのだろうか。
その点については不安で仕方がない。
しかし、私よりも出産を控えた妻の方が不安なはずだ。
私はもっとどっしりと構えていなければならないのだろう。
「不安」のほとんどは杞憂に終わる。
それでも人は「不安」と同居しながら生きるしかない。
これは進化の過程で備わった危機管理能力の一つなのだ。
「愛は世界を分断する」
幸せホルモンであるオキシトシンを嗅がせた被験者は、公平性を欠いて目の前の対象を贔屓する傾向が極端に上がるという。
子育てもこの影響下にあるはずだ。
今の生活を切り崩して、子供中心の生活にシフトしていく。
それは当たり前のことだ。
それならば、その切り崩し方を上手くやらなければならない。
ある意味では転職をするよりも大きな生活の変化だ。
私は「成長」を求めて今の職場に転職をした。
その目的は十分に果たすことができ、想像していた以上に忙しい時を過ごし、少なからず成長を実感している。
そして、私は私の望む未来を掴み取るために結果として、結婚をして子どもを設けた。
今の私は、過去の私が理想とした道を歩んでいるのだ。
その点については、もっと自信を持っていいはずだ。
「自信」がないと「能力」も下がる。
育児で仕事が疎かになると、仕事での成功を犠牲にすることになる。
そんなステレオタイプ脅威に晒されているのかもしれない。
しかし、全ては心持ち一つなのだ。
私の心一つで決まる。
改めて、子育てを中心とした生活をしながらも、 妻と子供を守るために仕事でも成果を出すと、決意を深める必要があるのかもしれない。
私と同じ世代の多くは、すでに仕事と子育てを両立させているのだ。
私もなんとかやっていくしかない。