「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

終わらない夏

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10月にもなるのに暑い日が続いていた。

それもどうやら終わりを告げるみたい。


超大型の台風が接近している。


台風一過を最後に、

このまま夏を連れ去ってくれるのだろう。


今年の夏はとにかく苦しんだ。

夏らしいことはあまりしていない。


江ノ島に行く約束は永久に失われてしまった。

「いっぱいデートしようね」


その言葉を受け取ってから、

結局は一度もデートをしないで終わってしまった。

永遠に・・・


しばらくお休みをしていたものだから、

気温とともに冷めていく。

私の恋心・・・


だけれども冷めきってはくれないようだ。

心の柔らかい場所に包まれて、

どうやら居心地がいいみたい。


引きずり出すのは忍びないな。

先に進みたいとは思うけれど、

もう少しこのままでも良いか。


「終わらない夏」


あの子との出会いは、

この夏の象徴、


いつまで経っても、

夏の訪れとともに、

あの子のことを思い出すのかな。


私の気持ちを察するかのように、

夏も頑張ってくれていたようだ。


将来のことはわからない。

過去を変えることはできない。


だからせめて今はこの思いに浸って、

それを次への活力に変えよう。


もう少しで3ヶ月、

いい加減に前に進まないとな。


いくら望んだところで、

夏にはもう戻れないのだ。


台風、

前みたいに大きな被害が出ないことを願う。


この停滞感、

もやもや感、

不信感やら倦怠感、


そんなものだけを吹き飛ばして、

過ぎ去ってくれればいい。

 

愛着障害

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少し話題になっている本のテーマ、

前に記事にしたキルケゴール死に至る病』の現代版とのこと、


キルケゴール死に至る病を「絶望」としたが、

この精神科医である著者は「愛着障害」とした。


愛着障害


自分や他人のことをうまく愛せないということらしい。

幼少期に注がれた愛情が乏しいとそのような傾向になりやすいとのこと、

鬱や神経症発達障害者は「愛着障害」であることが多いという主張、


「なるほど」と思うことは多かった。

だけれども決めつけが過ぎる印象、


愛情の形はそれぞれだし、

受け止め方もそれぞれだから、

「あなたは愛着障害です」

そんな事言われても診断する側の主観でしかない。


そもそも人って自信がないほうが普通だし、

自信過剰な人ほどどこかで折れた時に再起不能になりやすい。

 

歪んだ自己愛は「愛着障害」に当てはまるのか。

誰しもそういう部分を持っていて、

それを表面に出さないだけ、

誰だって少なからず自分のために生きているわけでしょ。


「自分と他人を同じように愛せる人」

それが健常者ですよ。


もしもそんなことを言われたら、

聖人以外はみんな「愛着障害」である。


「この世界にいても良いんだな」


そう思えないことがメンタルを病む要因、

そのことには同意するけれども、

そう思えない人は「愛着障害

それは飛躍しすぎている。

そもそも教育とか育児に正解なんてあるのだろうか。


先生が先生をいじめる時代、

子供の頃から必要以上の情報に触れて大人になる。

 

現代人が1日で触れる情報量は、

平安時代の人の一生分らしい。


脳の機能はそう大きく変わるわけでもない。

どう考えても情報過多なのだ。

人の進化が時代の進化に追いついていないのかな。


情報に振り回されない。

必要なものなど本当は一握りしかないのだ。


ちなみに私はきっと「愛着障害

「異性として愛される」って経験が乏しいから、

男としての自分を信じられない。


アプローチらしきものをされたって、

それが好意だと信じられない。


なんてね。

そうやって言い訳はいくらでもできる。


型にはめてわかった気になるよりも、

自分の状況がどうで、これから先どうなりたいのか。

それを明確にするほうが先なんじゃないかな。


難しいことは先生方に任せていればいい。

そういうことをお仕事にしてご飯を食べているのだろうから、

 

あまり不可逆的なことを理由にして、

自分にはどうしようもないって、

そういうのは好きではない。

 

「現状は必ず打開できる」

 

高い壁を目の前にしても、

そう思える強さを身につけたい。


結局、

いくら誰かのせいにしようとしたって、

自分の人生は自分しか責任をとってくれないのだ。

 

反芻思考が止まらない

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『だ・れ・か

ロマンティックと・め・て

胸が~、胸が~、苦しくな、苦しくなる~』


それならばまだいいのだけれども、

ロマンティックではなくて、

反芻思考が止まらないのだ。


『「反芻思考」とは、

何度もネガティブな出来事を思い出し、

悩み続けて抑うつ気分を増長させる考え方』

だそうだ。


脳のエネルギーの60~80%は雑念によって消費されるらしい。

だから反芻思考によって脳疲労を引き起こすとのこと。


私の場合は恋愛がそう。


「ここまでいってこれか。」


いつだって奇跡的にうまくいかないものだから、

動くほどに傷ばかり増えていって、

いつまで経っても悩みは尽きない。

挙げ句の果てに女性不信をこじらせる。


それならばいっそのこと、

動くのをやめればいいと思って、

しばらくはお休みしている。


するとやはり調子がいいのだ。


私が幸せに生きるためには、

恋愛とは縁のない生活を送ったほうが良いのかな。


婚活をお休みした時に、

「人間生活を再開」と書いたけれどもまさにそんな感じ、


自分の時間を持って、

自分の体調と向き合って、

少しづつ生活の幅を戻していって、


人と会う機会が減ったから、

ボーッと映画なんか見て、

先のことは先に自分に任せるようにしている。


だけれども自分の無意識を騙すことはできない。

たまらなく寂しい夜を迎えることがある。


頭の中でぐるぐると、

反芻思考が始まる。


去年は色々あったから、

「あのときにああしていれば」だとか、

「あんなチャンスをどうして」だとか、

そんなことばかり、


このままじゃいけないのだろうな。

心が伴侶を求めているのだろう。


その事に気が付かないふりをして過ごしていれば、

その時は安定しているかもしれない。

だけれども「無意識」が許してはくれないのだ。


どこかでまた再開しなければいけないのかな。

現実と理想のギャップを埋めるために、


それだけで先が思いやられる。


早く素敵な人と結ばれて、

もう恋愛のことで悩まなくて良いようになりたい。

 

結婚していないんです

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あまりにも自然に、

さも私が結婚しているかのように問いかけられる。


「ますをさん、お子さんは?」

「奥さんとは仲がいいのですか?」

「これ、奥様にどうですか?」


そのたびに、

「結婚していないんです」


若干気まずい雰囲気が流れる。

ご期待に添えずにどうもすみましぇ~ん。

そうやって「しぇ~」のポーズでもすれば、

場は和むのだろうか。


だって私、指輪していないでしょ。

それとも指輪をしないくらい夫婦生活に溶け込んでいるほど、

長いこと相手がいるように見えるのか。


もうその問いかけにはだいぶ慣れたけれど、

心がささくれ立たないといえばウソになる。

そして、そのたびに「私ってそう見えるんだな」って思う。


一応はまだアラサーだ。

言うほど年は食っていない。

見た目だって若く見られることもある。

だけれどもそう見られるのだ。


「結婚していそうな雰囲気」

そういうものってあるのかもしれない。


私には姪がいる。

この前は夫婦と一緒にスーパーで買物、

お守りを任されてカートに乗せてあやす姿は、

父親に見えていたのかな。


子育ての大変さって色々見てきたから、

そういう疑似体験で十分かもしれない。


年を取るほどに、

色々なものが見えてしまうから、

飛び込むのにだって勇気が必要になる。


理性が先に来てしまうから、

なんだかタガは外れない。


女性だって経済的に自立しているから、

きっと見る目は同じなのだろう。


「子供のこと」


婚活で会った多くの女性には、

姪だか甥がいた。


そして良好な関係を築いているみたい。

そうなるとそれで満足してしまうのだろうな。


「孫の顔が見たい」


兄弟に子供がいれば、

親に対するその手の責任は、

すでに果たしてくれている。


そうやって理屈をつけて、

男女ともに無理して結婚しようとしない。


子供のことさえ考えなければ、

イムリミットは大幅に延長される。


青春とまでは行かなくても、

いつまでも身を固めずに朱夏でいられるのだ。

「終わらない夏現象」とでも名付けようか。


「お二人様」


そういう家族のカタチが今後は増えていくのかな。

傍から見ているとそれも幸せそうに見える。

 

本人たちが良ければ、

別にとやかく言われる筋合いはない。


「結婚していないんです」


そうやって心をささくれ立たせることもなく、

にこやかに返すことができたならば、

私も大したものだ。


いちいち「察してよ」ってささくれだっているうちは、

自尊感情復権にはまだまだ程遠い。

 

日本の少子化と婚活を通して感じたこと

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社会保障を手厚くだとか、

子育てしやすい社会だとか、

政治はそういうことばかりに目を向けるけれど、

それよりも前に問題がある。


単純に「ボーイミーツガール」

結婚につながるような出会いが減っている。

否、「リアリストが増えて結婚に妥協しなくなった」というところか。


だから「婚活」というものが、

一種の流行のように取り沙汰される。


多分に漏れず、

私も流行りに乗った一人、


だけれどもそういう出会いを重ねても先につながることは少ない。

男女ともに「良いご縁があれば」と言うくらいの思い、

経済的に自立しているから無理はしないのだ。


本当にどうしようもなく困窮していたら、

婚活市場には現れない。

現れたとしてもすぐにいなくなる。


経験して感じたけれど、

あれって自尊感情が高くないと精神的に持たないから、

ある程度自信がないと自然淘汰されていく。


私は3ヶ月で音を上げた。


競争率が高いから、

良いと思う人からは相手にされない。

「そこまで」と思う人からアプローチされても、

うまく交わすことにストレスを感じる。


「まずは会ってみないとわからない」


結局はそういうことになるから、

とりあえずやり取りを続けて、

とりあえず会ってみてはお断りをする。

そのたびに不誠実な自分を嫌いになる。


その繰り返しだった。


婚活を続けられるだけで、

ある意味では「強者のメンタルの持ち主」

諦めなければ結婚できる勝ち組なのだ。


話を戻そう。


男女ともに、

「将来結婚したいと考えている」と答える未婚者は、

9割にも上るらしい。


だけれども出会いに妥協はしない。


「幸せのカタチは一つではないよ」

そういう風潮が主流になりつつある。


おそらく「結婚したい」

そう思っている人の率はさほど変わらなくても、

「絶対に」から「できれば」へのシフトが大きいのだろう。


ステレオタイプだった「結婚」という幸せのカタチは、

もはやその立場を失っているのかもしれない。


情報が溢れる世の中だから、

「結婚」という幻想に夢を抱かないのだ。


「結婚したって幸せになれるとは限らない」


「結婚したい」と思っている反面、

デメリットにも同じくらい目が向く。


「待ったなし」という状況でもない。

それならば「良いご縁があれば」となる。


実質2ヶ月で10人の婚活女性と会ったけれど、

「絶対に」結婚したいと思っている人とは出会わなかった。

「そろそろ年齢的に」そして「良い人がいれば」なのだ。


ブログ初期に一度記事にしたけれど、

マンガボックスで連載されている『嘘と恋』と言う漫画、

(今も連載しているのかはわからないけれど)


政府が遺伝子の相性によって、

相手を決めるシステム、


適齢期になると相手をあてがわれるのだけれども、

遺伝子レベルで選ばれているから、

ひと目で互いが惹かれ合う。


そしてその仲を政府が取り持って、

「幸せな家庭」という価値観を植え付ける。

そんな世界観、


遺伝子レベルで相性抜群だから、

家庭不和もほとんど起こらない。


「その違和感と純愛の間で揺れる」

みたいなストーリーだけれども、


私みたいな負け組からすれば、

そんなシステムのある世界のほうがいいなって、

結構、真面目にそう思う。


「知らないほうが幸せ」

「あまり深く考えないほうが幸せ」


そういうことって世の中にはたくさん存在していて、

「結婚に対する淡い幻想」というものも、

そっちに分類されるのかもしれない。


「一緒になってしまえばなんとかなるよ」

そういう話ってよく聞く。


お互いの親族のことだとか、

生まれてくるかもしれない子供のこと、

経済的なこと、


そんなことを考えれば考えるほどに、

先になんて進めなくなる。


「案ずるより産むが易し」

多くのことって意外とそんなもの、


頭では理解していても、

やっぱり「この人」って思えないと先には進めない。

だからこうしてこじらせている。


「好きだから一緒になる」

そう思って一緒になれたら素敵なこと、


だけれども、

そう思える相手と出会って、

相手も同じ気持ちになってくれるって

ものすごくハードルの高いこと、


「自我」の暴走、

子供の頃から膨大な情報に触れて取捨選択を繰り返し、


「マイノリティも個性」


そういう教育を受け続けてきたのだから、

日本はその「多様な価値観」というものを手に入れた代償として、

少子化」と言う課題に直面しているのかもしれない。


予防線を張っておくが、

「幸せな結婚」を否定しているわけでもなく、

「多様な幸せのカタチ」を否定しているわけでもない。


これまで膨大な情報を取捨選択してきたように、

それぞれの責任でそれぞれの幸せを取捨選択しないといけないのだろう。


『嘘と恋』のようになれば別だけれども、

そうなることはまずないだろう。


基本的人権の尊重」


価値観は多様で、自由は保証されているのだ。


政治が介入したところで、

こればかりはどうしようもない。

 

意地で結婚しようとしている人

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後輩の話、


最近は月に1度くらいしか会っていない。

お互いに気持ちがあるのかもわからない。

決断を急かすと彼女のほうが癇癪を起こす。


そんな状況なのだけれども、

お互いがお年頃だし、

始まりは結婚前提のお付き合いだったから、

とりあえずは両家に挨拶をするみたい。


二人の間で先のことは決まっていないのに、

挨拶される方も困らないのかな。


私は彼女とも何度か会っていて、

印象では悪い感じはしないのだけれども、

後輩の話を聞くとどうにも煮え切らない。


他の男ともよく遊んでいるようだし、

オープンにしているのでどこまで本気かわからないけれど、

紹介してもらうことまであるらしい。

とりあえずキープしているような感じなのだ。


誰に相談しても「やめたら?」

そういう答えが返ってくる。


だけれども後輩くん、

「決めたことなので自分から振るつもりはない」とのこと、


彼女は彼女で、

嫌なことがあると別れ話を盾にして、

フラレることを待っている節がある。


なんだか意地で結婚までこぎつける努力をしているみたい。


こういうのって、

すんなりと行かなかったらダメなんじゃないかな。

あとは二人の問題なのでとやかく言っても仕方がないけれど、


付き合ったら付き合ったで大変みたいだな。

「現実」が「二人の世界」を壊してからが勝負なのだろう。


先が思いやられる。


どうしてこんなに苦労してまで、

結婚したいのだろう。


したらしたで、

また別の苦労が待っているのだろうし、


コスパを考えたら結婚なんてしないほうが良い」

あるブロガーさんの言葉、


だけれども、

「好きでそのままの関係じゃいられないから結婚するんでしょ」

そう続く。


結局はそうあるべきなのだろう。

私の恋心はもう燃え尽きてしまって、

もはや炭になってしまっているのかもしれないな。


それならば、

無理に結婚しようとしても無駄かもしれない。


「結婚」が目的になってしまったら、

その先の生活はどうなるの?

とても続くとは思えない。


「現状維持」


意地を張らずに現状維持、

もう一度がむしゃらに動くような気力はない。


そうやって落ち着いて、

どんどん結婚というやつは遠のくのだろう。


炭になってしまったのならば仕方がないか。

それでも形を維持しているだけまだマシか。


本当に燃え尽きてしまうまでに、

チャンスはもう一度くらいあるのかな。

 

自分の内側を表現することに疲れてしまった

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昨日の記事は、

夜中にふと目が覚めて久々に言葉が出てきた。

 

だけれどもここ最近の記事は、

私に起きている客観的事実や、

私の外側のことばかりを題材にしている。


内面にばかり向き合っていても、

あまり言葉が出てこないのだ。


興味のあることに目を向けて、

それを文字に起こしている。

今の私にはそっちのほうが楽しいと思えるから、


なんだかとても疲れてしまった。

内面と向き合うことに、


いくらそれを続けていても状況は好転しない。

それどころかどんどん浮世離れして、

私の好きな天真爛漫タイプの女性は離れていく一方だ。


「笑顔の時間を増やしたい。自分も周りも」


それが今のテーマ、


先のことばかりの思いを巡らせて、

損しないようにって色々と手を打って、


そんなことばかりして生きているから、

コントロールできない不安が顔を出した時に、

パニックに陥ってしまう。


「なんとかなる」


昔はもっとそう思って生きていたはず、

どこかで「自分のやり方」というシステムに支配されて、

システムエラーを起こすと思考停止するようになってしまった。


どうしようもないことは、

大いなる何かに身を委ねればいい。

その先がどうなろうと仕方がない。


コントロールしようとしたってできないことはたくさんある。

どんなに素晴らしい「自分のやり方」というシステムを構築しても、

どこかに限界があるのだ。


だから手放せばいい。


それなりに経験は積んできて、

直感的に悪くない判断はできるようにはなっているでしょ。

その直感に従ってぶっつけ本番で生きれば良いのだ。

それくらいの場数は踏んできた。


「こうでなければならない」

「こうあらねばならない」


世の中は複雑にできているから、

100%正しいことなんてきっと存在しない。


あとは自分の感性がどうなのか。

善悪の判断基準がどうなのか。

そういうものがきっと「人としての魅力」なのだ。

 

幸い周りにいてくれる仲間はいる。

人間関係だって広いほうだろう。


私の周りにいる人達が、

きっと私が「悪い人間ではない」と言う証拠、


だから直感に従えばいい。

私は小市民で臆面もなく悪いことをできる人間ではない。

そして人を傷つけて平気でいられるメンタルを持ち合わせてはいない。


善悪がどうだとか、

将来がどうだとか、

わからないことに思いを馳せても仕方がない。


とにかく自分の直感に従って、

何かと衝突したらその時に考えればいい。


そうやって生きていたらきっと、

どこかでまた笑顔の絶えない素敵な女性に巡り会えるはず、


私がそういう人間にならなければならないのだ。

相手から見て「いっしょになりたいな」と、

そう思ってもらえる人間に、