社会保障を手厚くだとか、
子育てしやすい社会だとか、
政治はそういうことばかりに目を向けるけれど、
それよりも前に問題がある。
単純に「ボーイミーツガール」
結婚につながるような出会いが減っている。
否、「リアリストが増えて結婚に妥協しなくなった」というところか。
だから「婚活」というものが、
一種の流行のように取り沙汰される。
多分に漏れず、
私も流行りに乗った一人、
だけれどもそういう出会いを重ねても先につながることは少ない。
男女ともに「良いご縁があれば」と言うくらいの思い、
経済的に自立しているから無理はしないのだ。
本当にどうしようもなく困窮していたら、
婚活市場には現れない。
現れたとしてもすぐにいなくなる。
経験して感じたけれど、
あれって自尊感情が高くないと精神的に持たないから、
ある程度自信がないと自然淘汰されていく。
私は3ヶ月で音を上げた。
競争率が高いから、
良いと思う人からは相手にされない。
「そこまで」と思う人からアプローチされても、
うまく交わすことにストレスを感じる。
「まずは会ってみないとわからない」
結局はそういうことになるから、
とりあえずやり取りを続けて、
とりあえず会ってみてはお断りをする。
そのたびに不誠実な自分を嫌いになる。
その繰り返しだった。
婚活を続けられるだけで、
ある意味では「強者のメンタルの持ち主」
諦めなければ結婚できる勝ち組なのだ。
話を戻そう。
男女ともに、
「将来結婚したいと考えている」と答える未婚者は、
9割にも上るらしい。
だけれども出会いに妥協はしない。
「幸せのカタチは一つではないよ」
そういう風潮が主流になりつつある。
おそらく「結婚したい」
そう思っている人の率はさほど変わらなくても、
「絶対に」から「できれば」へのシフトが大きいのだろう。
ステレオタイプだった「結婚」という幸せのカタチは、
もはやその立場を失っているのかもしれない。
情報が溢れる世の中だから、
「結婚」という幻想に夢を抱かないのだ。
「結婚したって幸せになれるとは限らない」
「結婚したい」と思っている反面、
デメリットにも同じくらい目が向く。
「待ったなし」という状況でもない。
それならば「良いご縁があれば」となる。
実質2ヶ月で10人の婚活女性と会ったけれど、
「絶対に」結婚したいと思っている人とは出会わなかった。
「そろそろ年齢的に」そして「良い人がいれば」なのだ。
ブログ初期に一度記事にしたけれど、
マンガボックスで連載されている『嘘と恋』と言う漫画、
(今も連載しているのかはわからないけれど)
政府が遺伝子の相性によって、
相手を決めるシステム、
適齢期になると相手をあてがわれるのだけれども、
遺伝子レベルで選ばれているから、
ひと目で互いが惹かれ合う。
そしてその仲を政府が取り持って、
「幸せな家庭」という価値観を植え付ける。
そんな世界観、
遺伝子レベルで相性抜群だから、
家庭不和もほとんど起こらない。
「その違和感と純愛の間で揺れる」
みたいなストーリーだけれども、
私みたいな負け組からすれば、
そんなシステムのある世界のほうがいいなって、
結構、真面目にそう思う。
「知らないほうが幸せ」
「あまり深く考えないほうが幸せ」
そういうことって世の中にはたくさん存在していて、
「結婚に対する淡い幻想」というものも、
そっちに分類されるのかもしれない。
「一緒になってしまえばなんとかなるよ」
そういう話ってよく聞く。
お互いの親族のことだとか、
生まれてくるかもしれない子供のこと、
経済的なこと、
そんなことを考えれば考えるほどに、
先になんて進めなくなる。
「案ずるより産むが易し」
多くのことって意外とそんなもの、
頭では理解していても、
やっぱり「この人」って思えないと先には進めない。
だからこうしてこじらせている。
「好きだから一緒になる」
そう思って一緒になれたら素敵なこと、
だけれども、
そう思える相手と出会って、
相手も同じ気持ちになってくれるって
ものすごくハードルの高いこと、
「自我」の暴走、
子供の頃から膨大な情報に触れて取捨選択を繰り返し、
「マイノリティも個性」
そういう教育を受け続けてきたのだから、
日本はその「多様な価値観」というものを手に入れた代償として、
「少子化」と言う課題に直面しているのかもしれない。
予防線を張っておくが、
「幸せな結婚」を否定しているわけでもなく、
「多様な幸せのカタチ」を否定しているわけでもない。
これまで膨大な情報を取捨選択してきたように、
それぞれの責任でそれぞれの幸せを取捨選択しないといけないのだろう。
『嘘と恋』のようになれば別だけれども、
そうなることはまずないだろう。
「基本的人権の尊重」
価値観は多様で、自由は保証されているのだ。
政治が介入したところで、
こればかりはどうしようもない。