私に欠如しているもの、
唯一の彼女は「愛」とはまた違ったものだったし、
「好き」と思える女性ができたところで、
関係が先に進まなければ責任感は全くない。
だから女性が何を考えて、
何に苦しんでどう生きているのか。
それに思いを馳せる機会が極端に少ない。
だから少し裏切られただけで、
そのすべてを否定して、非難して、遠ざけて、
そういうことになる。
要は女性を知らなすぎるのだ。
だから、
「責任を持って女性を愛する」
そんな経験が必要、
それは無理に求めることではないけれども、
自分の中での試金石になることは間違いない。
今までの私は、
①「いいなと思う」→
②「本当に好きなのかを疑う」→
③「結婚を考えられる相手なのかを吟味する」→
④「そう考えられて初めてアプローチを開始する」→
⑤「相手の気持ちはもう離れている」
こんなパターン、
②と③は不要なのだ。
「いいな」と思ったらアプローチすればいい。
私は関係が進んで責任を取らないほど愚かではないはず、
その積み重ねの中で出会う、
あるいは最初の一人が運命の相手かもしれない。
そうやって、
関係を進めて、
相手に責任を持って、
そういう中でしか、
「女性」というものを知ることはできない。
相手とともに進むことにならなくてもいい。
自分が先に進むための恋愛があってもいい。
「誠実さ」って、
目の前の一人に対して向けるもの、
先のことにまで責任を持てるかはわからない。
場合のよっては、
「誠実さ」が「煩わしさ」に変わることもある。
だから、
その時の精一杯で、
相手と向き合えばいい。
自分の気持ちと向き合えばいい。
先のことなど誰にもわからないのだから、