惹かれる力が強ければ強いほど、
それを失った時の反動は大きい。
「信じていたのに…」
その気持ちを解消するために、
より大きく遠ざけようとするのだ。
「失恋の痛みを解消するのに、
どれくらいの時間が必要ですか?」
そんな根のない言葉がネット上に踊る。
1か月?
3か月?
いや1年?
「1日寝れば忘れてしまいます」
「死ぬまで忘れることはできません」
様々な回答がある。
そんなものに決まりはないのだ。
それを形作るものは積み重ねてきた経験、
千差万別である。
「忘れようとしないで、
それを糧に生きていくことが大事なんじゃないかな?」
最も共感を生む、
ポピュラーな回答がこれみたいだ。
私も長いこと苦しんだ。
いや、「苦しんでいる」か。
現在進行形だ。
本当に苦しかったときは、
そこに答えなどあるはずもないのに、
藁をもすがる思いで検索ばかりしていた。
調べれば調べるほどに、
思考はそれに支配される。
「今はそういう時期」
割り切りながら生きてきたけれど、
最近ようやく気がついた。
「失恋に時効なんてない」
その時に不幸を感じているならば傷として、
幸せを感じているならばきれいな思い出として、
いつまでも残り続けるのだ。
「恋は罪」
こんなにも心を震わせた経験、
それを忘れることなどできない。
一度心を奪われたら最後、
「返して欲しい」と願っても、
その気持ちが戻ることはない。
本気の恋って、
そういうものなんじゃないかな。
だから恋をするたびに、
人は心を削るのだ。
目には見えない、
大切な部分を削って相手に差し出すのだ。
それでもダメだったら、
どこかで折り合いをつけて、
残った気持ちで勝負するしかない。
一番最初の恋が成就して、
そのまま結ばれたら、
どんなに素敵なことか。
私にはもう、
折り合いをつけるだけの気持ちすら、
残ってはいないのかな。
だから相手に気持ちを差し出すことを求める。
自分の気持ちを差し出すことが怖いから、
HY『てがみ』
「やっぱり恋には時効などないのかな。
今日も君を後悔と共に思いながら…」
私は私の関わるすべての人が、
幸せに生きられればいいと思う。
だけれどもあいつだけは、
その幸せを願うことはできない。
自分で手放さない限り、
恋には時効などないのだ。
「恋は罪」というのならば、
いっそのこと逮捕して、
その罪を償わせてくれ、
それでこの気持ちを手放せるならば、
自由などいらない。