「女性に暴力をふるう男は最低だ」
その主張には全面的に同意するけれど、
その逆に言及するものは少ない。
「男性を口先でやりこめる女は最低だ」
そういう声は出てこない。
多くの場合は男は女性に舌戦で勝てないらしい。
女性は共感を求める生き物だから、
自己開示をして生きてきた。
生涯に発する言葉の数を比べると、
男のそれよりも何倍も多いのだろう。
だから必然的に口先が達者になる。
筋が通っているかいないかは関係ない。
詐欺師と同じだ。
もっともらしく自分が正しいように話す。
あたかも自分が被害者でかわいそうであるかのように、
本人ではなく周りに働きかける。
加害者のくせに被害者面がうまいのだ。
そうやって、
男の暴力とは違って、
わからないように巧妙に、
男をいいように手玉に取る。
そういう女に限って、
ジェンダーを主張して「男らしさ」なんかを求める。
自分が女王様なのだ。
マッチョな男には威圧感があるけれど、
強かな女王様は巧妙に威圧感を隠す。
「ジェンダーレス」
そういう社会を目指しているらしいけどさ。
それって土台無理なんじゃないかな。
断っておくけれど、
私はどちらかといえばフェミニストだ。
傷つけられる経験を重ねるまでは、
紳士気取るのが男の役目だと思っていたくらい。
だけれども、
考え方が変わってきた。
少し前に話題になった、
『戦争は女の顔をしていない』
漫画版を読んだ。
これまで女性が虐げられた歴史があることはわかるけどさ。
その逆境でたくましく生きる女性の方が、
少なくとも「男の私」から見たら、
生き生きとしていて輝いているように思う。
現代はフェミニズムの度が過ぎるんじゃないかな。
国は会社における男女格差を是正するために、
女性管理職の増加を促したり、
「働き方改革」と検索したら筆頭に挙がるような、
コンサル会社の代表さんは、
「女性を採用できない会社は淘汰される」と公言したり、
女性の社会進出があたかも国を豊かにすると言わんばかり、
挙句に勘違いした女性たちは、
都合のいい時だけ「女」を武器にして、
おまけに「追い風」までも武器にして、
男よりもよほど強かに社会で生きている。
少なくとも私から見える、
「私の周りの社会」ってそうだ。
「女性が活躍できる社会」
・無駄に細部にこだわって合理性に欠ける。
・無駄に100を目指してコスパが悪い。
・合理性よりも自己主張や共感を優先する。
・同調圧力が過ぎてマイノリティを排斥しようとする。
・雰囲気で重要事項を決める。
・本人が望まなくても女性だからという理由で管理職に登用される。
これって、
「男が働きにくい社会」のことなのかな。
男女共に働きやすい社会って、
実現できないのかな。
やはり男と女は別の生き物、
生息領域が違うのだ。
なんとなく雰囲気で、
みんなが産休をとって復帰して、
仕事を辞めないから自分もそうする。
とりあえず働いていれば収入はあるから安心だし、
簡単な仕事だけ任されて居心地はいい。
本業は家庭だ。
仕事は向上心もなく言われたことだけをしていればいい。
賃金に差をつけられない風潮だから、
時短の分は変わるけれど、
時間単価は男とさほど変わらない。
別に金銭的に困ってもいないけれど、
権利を持っているから何となく働いている。
おまけに産休後に復職するつもりもないのに、
給与補助を受けるために産休をとる人までいる。
社会をいいように食い物にしているのだ。
そういうのって私の周りだけなのかな。
「働き方改革」って何だろうね。
「権利を持つ人」だけが得をする。
「労働者の立場」ばかり尊重されて、
組織に価値を提供する努力をしなくなる。
政治の手を入れれば入れるほど、
そんな社会構造にどんどん進むんじゃないかな。
私は恵まれているほうだと思うけれども、
一度レールを外れた人たちが巻き返すのは難しい社会だ。
今働いている人よりも、
よほど組織に価値を提供できる能力を持った人たちが、
路頭に迷っている。
これでは日本の生産性が低いわけだ。
政治のみならず日本の社会ってのは、
「既得権益」の塊なのだ。
話が逸れたな。
日本は「右向け右」だ。
批判を恐れずに書くならば、
「女性の社会進出」に傾倒しすぎなんじゃないの?
はっきり言って1年以上も会社にいなかったらさ。
その人の仕事は他の人の仕事になっているよ。
それでも時短まで許可してさ。
しなくてもいいような仕事をあてがって、
とりあえず雇用は継続しなければならない。
それが「女性の社会進出」なのかな。
多くの企業はそんなジレンマを抱えているんじゃないかな。
それとも私が女性不審から、
バイアスをかけ過ぎているだけなのかな。
「男が虐げられる歴史」の始まり、
その中でたくましく生きるしかないのかな。
どこかで見た、
女が電撃を使えるようになって、
身体的に男より優位に立った仮想世界の話、
めちゃくちゃな世界だった。
現実もそれに近づいているんじゃないかな。