対談集『人は死ぬから生きられる』
禅僧の南直哉氏と、
随分前に読んだ本だ。
書棚を漁っていると目についたので改めて読んでみた。
南氏の経験から語られる「仏教」の極意のようなもの、
色褪せない強烈なメッセージを発している。
「答えなんてないことに死ぬまで葛藤し続けるのが人生」
そんなテーマ、
全くその通りだと思う。
だから生きることは苦しい。
だけれども、
ある種の大きな流れに連なることはできるし、
場合によってはその流れを作ることだってできる。
「自分の生き方は自分で決めるのだ」
その実感さえ手にしていれば、
どんなに辛いことでも、
セピア色の人生に彩りを与えてくれる。
「生きる意味」
それを必死で探し続けているうちに、
人はいくつもの「居場所」をみつける。
だけれども、
それはあくまでも「雨宿り」
一時的な「居場所」でしかないのだ。
「人生の伴侶」を手に入れて、
「家庭」を築き上げて、
それでもやがて、
その「居場所」は去っていく。
もしくは去らなくてはならない。
伴侶との別れ、
子供の巣立ち、
そして、自らのエンディング、
「居場所」
それを手に入れることに躍起になって、
手に入れたら入れたで失うことを恐れて、
その繰り返し、
人の「業」は深いもの、
だけれども前に進むしかないのだ。
とことん葛藤し続けながら、
前に進み続けるしかない。
時には「手に入らないことを嘆き」
時には「手に入れたことを喜び」
そして「手放すことを悲しむ」
人生はその繰り返し、
どこを探したって明確な「答え」なんてない。
だけれども自分なりに、
「答えらしきもの」を導き出して、
それに満足することができたならば、
きっとその人生で「使命」を果たしたことになるのだろう。
そういう意味で後悔だけはしたくないな。
「人生のエンディング」
そこで後悔しないために生きているのだ。
だから「人は死ぬから生きられる」
この本は、
「今の私」になる「前の私」の趣味だ。
「今の私」から見ても悪くはない。
KingGnu『白日』
「真っ新に生まれ変わって
人生一から始めようが、
へばりついて離れない
地続きの今を歩いているんだ」
結局は「前の私」の延長線、
どんなに人生観の変わるような出来事に遭遇しても、
その地続きにいるのが「今の私」なのだ。
そしてそれはきっと、
死ぬまで続くのだろう。
どこまで行っても、
「私は私」なのだ。