どんなに「利」がないことを理解して、
そればかりか「損」するばかりだと自分に言い聞かせても、
どうしても嫌いな人がいる。
私の「惨めさの象徴」二股クソ女だ。
存在を認識した途端に心がささくれ立つ、
トゲをピンと立てて「近寄るな」って、
まるで私はハリネズミのようだ。
「イライラ」が止まらない。
しかもそこからしばらく引きずる。
「生理的に無理」なのだ。
もうこのセリフを何度書いたかもわからない。
何回吐き出せば気が済むのだろう。
吐き出したところで変わらないのかな。
この無駄な感情を手放したい。
心からそう思う。
理屈ではわかっている。
リソースの無駄遣い。
おまけにストレス要因だ。
睡眠の質まで下がる。
健康を害する。
完全に人生から排除したほうがいい。
そういう類の無意味なものだ。
だけれども手放せない。
そして自分が嫌いになる。
ますます「嫌悪」する。
自分も相手も、
完全な悪循環だ。
私の心は何をしたいのだろう。
こんな無駄なものにしがみついて、
「憎む」ことで甘えているのだ。
うまくいかないことを全部あいつのせいにして、
「自分は悪くない」って、
そう思うためのはけ口にしている。
何とも浅ましいものだ。
そこまで理解しているのに手放せない。
「理屈じゃない」
できることならば二度と関わりたくない。
だけれどもそうはできない関係だ。
どんどん自分が嫌いになる。
「存在自体がストレス」
「憎しみってこうやって育つんだな」って、
「憎しみ」の増幅する過程を身をもって体験しているな。
バイアスかけて、
自分からどんどん「嫌い」になるように仕向けて行く。
ご丁寧に水やりを欠かさないでさ。
「憎しみの芽」は育っていく。
どんどんどんどん育っていく。
関わっていない時間までわざわざ思い出して、
律儀に水をやってさ。
どんどんどんどん育てていく。
「憎しみが育っている」
そのことに気が付いても止められないのだ。
止めてしまったら、
これまで育てた「憎しみ」を、
全部自分が引き受けないといけないから、
止められない。
そしてどんどんどんどん育っていく。
止めたくても止められない。
「憎しみ」なんてロクなものではないな。
どうしたら手放せるのだろう。
「許す」と「手放す」はおそらく違う。
私は「許したくない」
でも、だから「手放せない」のかな。
人の不幸ばかり監視して、
そんなことしていたら幸せになれるわけがない。
努力はしている。
努力はしているんだけどさ。
本末転倒で自分が嫌いになることばかりだ。
ハードルばかりが上がっていく。
自分に求めるものも、
相手に求めるものも、
ハードルばかりが上がっていくのだ。
結局は狡猾で強かで、
周りを道具にした人が幸せをつかむのかな。
私の「理想」はただの「理想」に過ぎないのかな。
もはや二度と関わらなくてもいい環境に移るしかないのかな。
恋に盲目になりたい。
報われる恋に、