「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

1100の記事を書いて

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昨日の記事で1100個目の投稿となりました。

もはや1000を超えてからは数を意識していませんでしたが、節目を迎えると改めて淡々と継続する私の気質を実感します。

 

近頃は忙しく更新時間にばらつきがありますが、それももうしばらくしたら落ち着きそうです。

 

私は一体どこへ向かうのか。

「停滞感」を打ち破ることができるのか。

そして、その先には何が待ち受けているのか。

 

私は何を求めているのか。

誰と過ごして、どのような役割を与えられて、

どのような「居場所」を手に入れたいのか。

 

デジタルな人付き合い。

アナログな人付き合い。

人は「人との触発」の中で満たされていく。

そんなことをよく考えています。

 

どんな人と時間を共有するか。

もしかしたらそれが何よりも大事なことなのかもしれませんね。

 

生きがい、やりがい、働きがい、

私は人生に過剰なものを求めすぎていて、

その本質を見失っているのかもしれません。

 

人生ってものに対するアプローチ、

 

砲丸投げのように思いっきりぶん投げて、叩きつけられた先を見届ける。

砲丸は人生、投げるのは自分、

そういうものなのかもしれません。

 

その結果に「よし!」とガッツポーズでもできれば儲けもの、

そうでなくても出た結果を受け入れて生きていく。

 

競技と違うのはルールが不明確だということ、

何度か投擲のチャンスはあるかもしれないけれど、何度あるかはわからないし、一番良かった結果を最終結果にできるとは限らない。

 

人生ってやつは、大事に愛しんだところでコントロールできるものではありません。

それならば、ある程度は天に任せたり、出たとこ勝負でやっていく。

それくらいの関わり方で良いのかもしれません。

 

あまりにも自分のやり方にこだわりすぎると、

その期待を裏切られた際の絶望は大きくなるばかり、

そこから希望を見出していくのは並大抵のことではありません。

 

私はさ。

ノルウェイの森』のワタナベくんのように、

「自分のやり方」にこだわりすぎているのかな。

 

「損をしないように」ってさ。

全方位に神経尖らせてさ。

疲れてしまうよ。

 

ここからの100日はどんな歩みとなるのか。

少しばかり大きな転換期を迎えている気がする。

 

いつもスターをいただいたり、コメントをいただいたり、本当にありがとうございます。

気が向いたら引き続きお付き合いください。