本来であれば昨日7月24日は、
東京オリンピック開会の日だった。
実は私も東京オリンピックには、
ある形で参加することになっていた。
だから非常に残念だ。
来年は必ず行って欲しいという強い思いもある。
だけれども、
厳しい現実がのしかかる。
例え、日本で十分に収束したとしても、
世界中で収束することは難しいだろう。
縮小した形での開催は免れない。
だけれどもその骨子は全く決まっていない。
いや、決めようがないのだ。
そんな中で、
一つの「テーマ」が発表された。
「+1」
「TOKYO2020」にプラスして1年、
そのナレーションで進む映像、
説得力のあるメッセージ、
最後の一言には鳥肌が立つ、
「水泳なんてどうでもいい」
病発覚直後のご家族の言葉、
だけれども、
病を乗り越えたご本人の言葉、
「競泳選手、池江璃花子」
その言葉で結ばれるメッセージ、
とてつもない重みを持つ。
「アスリート」
人生のほとんどを競技に捧げて、捧げて、
捧げ過ぎて、その競技を嫌いになる。
そういうこともあるけれど、
「目標」としていたものが、
急に目の前から消えた。
ある意味では「苦しみ」からの解放だ。
だけれども、
そうなって初めて気がつく気持ち、
「自分はこの競技が好きなんだ」
素晴らしいな。
なんて素晴らしいのだろう。
生きることも同じなのかな。
苦しくて苦しくて、
時には生きていることが嫌になる。
だけれども、
「命」が危険にさらされた時、
「生きたい」ってそう思う。
私も経験した。
「生きている実感」
それは何ものにも変えがたいのだ。
だから目の前から消えた目標、
それってアスリートにとっては、
想像できないくらい辛いことなんじゃないかな。
それでもアスリート達は、
こぞって「+1」を掲げる。
テーマが発表される前からだ。
まるでそれが当たり前のように、
「あと1年練習ができる」だなんて、
とんでもないことを言う。
本当にすごいと思う。
「開催されるかどうかもわからない」
だけれども「開催される」ことを信じて、
歩みを進めている。
人生だっていつ何があるかわからない。
だけれども歩みを進める。
「歓喜に包まれる」その時を信じて、
「生きる」ってことの本質が、
このアスリート達の姿勢に現れているのかな。
だから感動を生む。
歓喜が爆発する。
きっとそういうもの、
私は1年間、
胸を張って生きたい。
いつ終わるかもわからない命だけれども、
「ちゃんと生きた」と胸を張れる。
そんな生き方をしたい。
「+1」
目標があるから「生」は充実する。
日本にとって、
いや、世界にとっての「希望の光」
今の世の中にはそういうものが必要だ。
この大会がそういうものになればいい。
賛否あるけれども私は心からそう思う。
池江璃花子選手、
まだまだ治療は続いているのだろうけれど、
ここまで元気になって本当によかった。