そんなものが存在するかどうかはわからない。
仕事に限ったことではないのかもしれない。
我々は、生まれてきた理由を探して生きている。
突き詰めるとそういうことなのだろう。
おそらく「はじめは」理想に胸を高鳴らせて、社会人としての出発を切る。
「もっと自分を生かせる場所があるはずだ」と、目をキラキラと輝かせて企業を選び、転職へと踏み切る。
そうやって辿り着いた場所で、もがきながらも沼にハマっていくように社会の一部となり、気がつくと身動きが取れなくなっている。
目の前には、たくさんの仕事が山積みとなり、それをこなすだけで精一杯となる。
いつしか、「やりたいこと」は「やらなければならないこと」へと変わっていることに気がつく。
そうすると今度は、その「やらなければならないこと」にしがみつくようになる。
そこが自分の居場所になって、巡り巡って「自分にしかできない仕事」になることも珍しくはないだろう。
そうやって属人業務は増えていき、危ない吊り橋の上で、辛うじて会社組織は保たれている。
そういう状況の組織は多いのではないだろうか。
結果としては、従業員と会社のニーズがマッチしているのかもしれない。
だけれども、そのやり方を続けていたら、これから先、どんどん組織は先細るだろう。
今の若者たちは自由だ。
組織にしがみつくことを是とはしない。
だから、雁字搦めになる前にスルリと身を翻して去っていく。
そうやって、中年ばかりで若手の定着しない組織が出来上がる。
雇用の流動性に備えておかないと、既存の社員への負担は増す一方だ。
教育コストばかり搾取されて、結局、次の人は育たない。
仕事に全てを捧げて、なんとかそれを回していた人たちの仕事を、次の人も「同じようにして回せ」ということは土台無理な話だ。
「自分にしかできない仕事」
仕事を専有してしまえば、それは簡単に出来上がる。
だけれども、それでは組織は脆く、リスクを抱えたまま進むことになる。
次を担う労働力の確保は、どの会社も大きな課題となっている。
だからリクルートに励む。
お金をかけて外見を良くして、名ばかりの制度を全面に押し出す。
だけれども、その前に今の組織を変革して、受け入れ体制を整える必要があるのではないだろうか。
そうしないと未来はない。
外見だけ綺麗に見せたところで、中身が伴わなければ、今の若者たちは簡単に去っていく。
「パーソナリティの肥大化した時代」
従業員それぞれが個人事業主としての色合いを濃くして行く。
会社のコマとして働く時代ではなくなったのだ。
冒頭の意味での「自分にしかできないであろう仕事」を求めて仕事を転々とする。
そういう若者は多いと感じる。
帰属意識はどんどん薄れていくのだ。
そして、パーソナリティは肥大化していくのだ。
そこを見誤った組織に未来はない。