人は都合のいい生き物だ。
そして生きていくことは辛い。
だから選んだ道の先、
その先の「イマ」が正しいと思い込むことで、
「生きるための糧」を得ているのだ。
「イマ」を肯定する傾向、
いわゆる「ポジティブ」というやつ、
それがさんざん持て囃されているのは、
人が「イマ」を正しいと信じたいからだろう。
「イマ」を正しいと思い込む。
それ自体はライフワークとして人生に必要なもの、
だけれども、
その方法については理解を深めたほうがいいんじゃないかな。
「ポジティブ」には2種類ある。
1つは「何とかなる」
もう1つは「何とかする」
前者は「受動的」で後者は「主体的」
それは大きな差だ。
私は後者でありたい。
生きている限り悩みは尽きない。
「生きること」は簡単なことではない。
スポットで辛いことはあったとしても、
20代ではそんなことをほとんど思ったことはなかったけれど、
30代になってからは「生きること」の辛さ苦しさを感じる。
心も体も病気をした。
「報われない努力」があまりにも多い。
どれだけ望んでも誠実を尽くしても、
望むものは手に入らない。
「人生」とはそういうものだ。
だけれども私の人生の責任は、
私がとるしかないのだ。
だから「何とかする」
「何とかする」しかないのだ。
そしてガムシャラに動いた、
その先にある「イマ」だからこそ、
「正しい」と思い込むことができる。
Mr.children『Any』
今僕のいる場所が
望んだものと違っても
悪くはない
きっと答えは一つじゃない
「愛してる」と君が言う
口先だけだとしても
たまらなく嬉しくなるから
それもまた僕にとって真実
そう思えるためには、
「主体性」が必要なのだ。
「自分は自分の人生を生きている」
その実感があるからこそ、
人は心の底から「イマ」を正しいと思えるのだ。
とりあえずは、
変化を求めて先に進み続けるしかないのかな。
人は都合の良い生き物だから、
「自分で選択した」という実感さえあれば、
きっとその先を肯定することができるのだ。