求められる能力が多岐に渡ると、自分の成長を実感することは難しくなる。
そうすると人は、惰性で生きるようになる。
確かに積み上がるものはあるはずなのに、それを実感することなく、ただただ惰性で生きるようになる。
ここ最近の自分を振り返ると、どうやら私はこのスパイラルに巻き込まれていたようだ。
だから、タスクを淡々とこなして、ただ耐えることを目的に働いていた。
「主体性を失ってはならない」
私は私の人生を生きているのだ。
どんなに理不尽な目にあったとしても、それも私の選択した先にあるもの。
それならば、私は私の人生に責任を持たなければならない。
周りに流されていた。
自分では、さほど「大変だ」と、自分が○理不尽な目に合っている」と思っていなかったが、周りから「大丈夫か?」とか「パワハラじゃないか?」と声をかけられるたびに、私はどんどん逃げ道に近づいていた。
自分自身を「可哀想な奴」に仕立て上げることで、それを拠り所にしながら、理不尽に耐えるための燃料としていたのだ。
過去には、もっと大変な目に合ったことはある。
今の私の状況は、それに比べると大したことはない。
私の無意識は辛さから逃げるために、自ら「EXIT」マークに向かってフェードアウトしようと引き寄せられていたのかもしれない。
一度そっちに引き寄せられると、気がつかないうちに、どんどんその引力に引き寄せられていくのだ。
そして、どんどん主体性を失っていく。
私の成長の軸は、あくまでも人間性に主眼を置いている。
「目の前の1人に誠実であり続けること」
「できる限り人を道具としてみないこと」
「人類の未来に希望を持ち続けること」
過去にブログの中で、それを掲げたことを思い出す。
今も私の目指すものは変わらないはずだ。
組織に求められるがままに、自らを変容させていては、誰の人生を生きているのかわからなくなる。
それを強いられるならば、いっそそこから抜け出した方がよい。
私は私の人生を生きる。
今一度、それを深く命に刻むべきなのかもしれない。