「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

「何かをしたい」という意思を持つということ

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「意思の力」というものは、

なんとも侮れないものだ。

 

それがあるだけで、

「生きる糧」としては十分なものになる。


「生きる」だけでも兵糧は必要なのだ。

それは「物理的」なものではなくて「精神的」なもの、


「どこに行きたい」

「誰といたい」

「何をしたい」


人類は長い時間をかけて、

「コミュニティへの所属」と「自由」

 

その両立を掴み取ったものだから、

「意志」を示すための選択肢は多岐にわたる。


そして今やテクノロジーの発達により、

「意思」を貫くための道具はたくさん用意されている。


だから「目的」を見失わないこと、


人は「感情の奴隷」だと言われるけれど、

「感情」に従いすぎると一貫性を失ってしまう。

 

そうなってしまったら、

結局は言われるがまま、

流されるがままに、

誰かの人生を生きていることになる。


「何かをしたい」


それは決して「刹那的」なものではなくて、

「そこに近づいている」という実感を得られるものでなければならない。


その「実感」を日々積み重ねることが、

「生」を確かなものにしてくれるんじゃないのかな。


とても不思議に思う。


私の中であれだけこだわっていた

「恋愛」だの「結婚」だのへの興味が急激に薄れている。


悩み始めてから4年くらいだろうか。

もう悩み尽くしたのかな。

 

今ではもう「誰でもいい」だとか、

「できなくても仕方がない」

それくらいにまで落ちている。


どんなに燃え上がっていたとしても、

人の気持ちなんてものは、

そんなに長いこと続かないものなのだ。


10年、20年と続くもの、

そこには「感情」を超えたものがある。


「生きがい」「目的」「習慣」

一日一日の積み重ねが「人生」を作るのだ。


「感情」には燃料が必要だ。


その燃料が尽きて初めて、

「生き方」というものが見えてくるのかな。


ただ心配なことがある。


燃料が尽きてしまった後で、

私は何を元手にしてブログを続けるのだろうか。

 

それとも、

それが尽きてしまったら、

もうブログを書く必要はなくなるのかな。

 

「恋愛」だの「結婚」だの、

それを糧にして描き続けていたけれど、

あまりにも私の人生との相性が悪すぎて、

ハッピーエンドは見えてこない。

 

せっかく描き続けてきたブログだ。

 

終わらせるならば、

「きれい」に終わらせたいと思うけれど、

それは叶わぬことなのかな。

 

そんなことを考えながらも、

「世界に対する興味」は尽きない。

ストックは山ほどある。

 

こうして今日も、

「自らの意思だ」と言い聞かせて、

私はブログを更新し続けるのだ。