テレワークというものは便利なもので、
私にとっては多くのメリットがある。
第一に、会いたくない人と会わなくて済むことが大きい。
会わなけらば会わないほど、
そのことが私にとって大きな「ストレス要因」だったのだと実感する。
反面、いざ出社してみると、
ちょっとしたことでイライラしてしまう。
ストレスに晒されない環境に身を置くと、
心が安定する一方で「ストレス耐性」が下がってしまうのだろうか。
そうなると、
「適度なストレス」には晒され続けたほうがいいことになる。
今はあまり緊張感のない生活だ。
ここ最近の記事では、
「そういう時期も大事」と書き連ねることで、
自分を納得させようとしていた。
だけれども「緊張感」
それが薄れていくことに「物足りなさ」を感じている。
もちろんやるべきことはやっている。
私は「努力依存症」で「努力中毒者」なものだから、
私の中で何かが動いていないと気が済まないのかも知れない。
「アニメ」や「ゲーム」
「漫画」や「音楽」
そういうものに触れる時間は格段に増えたけれど、
触れる時間が増えれば増えるほどに、
なんだか「虚しさ」を感じる。
「人との触発」
それが与えてくれる彩り、
人生にはそういうものが必要なのだ。
休日は外に出ることがなくなり、
予定は白紙の期間が続いている。
「スポイル」されて、腑抜けになって、
ただ漫然と一日が過ぎていく。
それではなんで生きているのかもわからなくなる。
人は都合の良いものだ。
「大変なこと」は嫌がるけれど、
「居場所がないこと」を恐れている。
「バランスの取れたストレス」
食事と同じように、
人生にはそういうものが必要なのかな。
「脅威」に感じるからストレスになる。
人生諦めてしまったら、
何もストレスにはならないのだ。
そうなってしまったら「生ける屍」
私はまだ自分の人生に期待しているのだろう。
だから些細なこともストレスになる。
ストレスは「生きている証」
自分の人生を諦めていないことの証明なのだ。
ゾンビになってしまわないように、
ストレスに身を晒して、
耐性を獲得しないといけないな。
人から見たら地獄だと言われるような環境でも、
それをそこそこの「ストレス」と感じながら、
悠々自適に過ごしていく。
困難を「生きがい」に変えていける。
そんな「タフさ」に憧れる。
生きている限りは、
そう在りたいものだ。