私はどちらかといえば、
いや、どちらかといわなくても、
「やるべきことを淡々とこなすタイプ」だ。
だから合理的であることを是として、非合理的な部分は改善しようとする。
空いた時間があれば、それを非合理的に使うことは多いけれど、
ルーチンワークは最適化しておくことを目指している。
そんなスタンスなものだから、私はどうも「熱意」が伝わらないらしい。
実際は本当にそこまで「熱意」がないのかもしれないけれども、
仕事とは別に「新しいこと」を初めて見たのだけれども、
その成果をお披露目する場で「熱意が伝わらない」と評された。
合理的な仕上がりだとは感じたけれど、
なるほど「心を動かすこと」ができなかったのか。
「心を動かすためには熱意が必要」
当りまえのことだけれども、0から1を生み出すことはリスクの塊だ。
だから「それに足るもの」でなければ一歩踏み込んでリスクをとるには至らない。
どうやらそこに「熱意」というものが絡んでくるらしい。
私は「人生」に何を求めているのだろう。
そして「将来」に何を期待しているのだろう。
「働くこと」ってのはさ。
お金を稼ぐためにするべきことなのかな。
それとも、それ自体が人生を彩るものだったりするのかな。
やりがい、生きがい、働きがい、
がい、がい、甲斐、
そもそも「甲斐」がなければ生きてはいけないのだろうか。
私は何かに「生きること」を委ねているのかもしれない。
忙しくして、時間を使って、いろいろなことに挑戦してここまできたけれど、
私は「自分の人生」を生きてきたのだろうか。
楽しむために生まれてきたはずなのに、
軽い絶望を繰り返しているうちに、
「楽しむこと」が苦手になってしまった。
何が幸せなんだろうね。
何が喜びなんだろうね。
そういう答えを朧げでも追いかけていなければ、
「熱意」などというものが湧き上がってくるはずはない。
私は生きることに必死なのかな。
だから先のことをあまり考えていないのかな。
淡々と生きている。
ただ、淡々と生きている。
やるべきことをこなして、
淡々と生きている。
熱意というものの存在を、
私は私の中に感じてはいないのだ。
昔は確かにあったはずなのに、