「春」の訪れ、
身に纏う衣は一枚、また一枚と、
徐々にその数を減らしていく。
外套と共に心まで軽くなるかと期待するけれども、
どうやらそこまでうまくはいかないようだ。
私にとって「春」という季節は、
どこか心に「ざわつき」をもたらす季節、
「何も進まない」
残雪に刻んだはずの足跡は、
気づけば「春の陽気」に溶かされて、
跡形もなく消え去っている。
私はライフステージを進めるために努力しているつもりだ。
「やるべきこと」をやり続けている。
そして、
「漸進」しているのだろうけれど、
その「実感」を伴わない。
だから私は何か人生に物足りなさを感じていて、
無意識のうちに「焦り」を感じている。
「何も進まない」って、
そんなことばかりを考える。
決してそんなことはないはずのに、
私自身が私を認めてあげられないのだ。
「私の恋愛」は非常に厄介だから、
慎重に進まなければならない。
そうやって石橋を叩きすぎているうちに、
叩きすぎた石橋は瓦解する。
進むことができたはずの道を自ら叩き壊しては、
どこか安心している自分がいる。
出会いと別れの季節、
「変わること」はストレスになるけれど、
「変わらないこと」もまたストレスになるのだ。
生きている限り悩みは尽きない。
人は「春の温かさ」に「希望」を見出しながら、
「厳しい冬の寒さ」を乗り越えるのだけれども、
もしかしたら「希望」は「冬の寒さ」の中にあるのかもしれない。
「冬」を乗り越えた先にあるもの、
それをひとたび手にしてしまうと、
「こんなものか」って、
拍子抜けしてしまうのが人間なのだ。
そうして季節は一巡して、
「手に入れたいもの」を求めて、
また「冬」へと向かっていく。
「春」は総決算、
色々なものが評価される季節、
いつだって私は私に対して、
「良い評価」をしてあげることができない。
だから「春」は心をざわつかせる。
例えそれが「漸進」であっても、
自らの「前進」を認めてあげることができれば、
きっと「春」は素敵な季節になるのだろう。
「春」はまだ始まったばかり、
それでも今のところは「春よ、来い」と願うのみ、
私にとって、
今年の春はどうなるのだろうか。