「童貞のまま結婚した男」の記録

元「30代童貞こじらせ男」 30代後半まで童貞で、そのまま結婚した男の記録です。

心が「ざわつく」季節

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「春」の訪れ、


身に纏う衣は一枚、また一枚と、

徐々にその数を減らしていく。


外套と共に心まで軽くなるかと期待するけれども、

どうやらそこまでうまくはいかないようだ。


私にとって「春」という季節は、

どこか心に「ざわつき」をもたらす季節、


「何も進まない」


残雪に刻んだはずの足跡は、

気づけば「春の陽気」に溶かされて、

跡形もなく消え去っている。


私はライフステージを進めるために努力しているつもりだ。

「やるべきこと」をやり続けている。


そして、

「漸進」しているのだろうけれど、

その「実感」を伴わない。


だから私は何か人生に物足りなさを感じていて、

無意識のうちに「焦り」を感じている。


「何も進まない」って、

そんなことばかりを考える。


決してそんなことはないはずのに、

私自身が私を認めてあげられないのだ。


「私の恋愛」は非常に厄介だから、

慎重に進まなければならない。


そうやって石橋を叩きすぎているうちに、

叩きすぎた石橋は瓦解する。


進むことができたはずの道を自ら叩き壊しては、

どこか安心している自分がいる。


出会いと別れの季節、


「変わること」はストレスになるけれど、

「変わらないこと」もまたストレスになるのだ。


生きている限り悩みは尽きない。


人は「春の温かさ」に「希望」を見出しながら、

「厳しい冬の寒さ」を乗り越えるのだけれども、

もしかしたら「希望」は「冬の寒さ」の中にあるのかもしれない。


「冬」を乗り越えた先にあるもの、


それをひとたび手にしてしまうと、

「こんなものか」って、

拍子抜けしてしまうのが人間なのだ。


そうして季節は一巡して、

「手に入れたいもの」を求めて、

また「冬」へと向かっていく。


「春」は総決算、

色々なものが評価される季節、


いつだって私は私に対して、

「良い評価」をしてあげることができない。


だから「春」は心をざわつかせる。


例えそれが「漸進」であっても、

自らの「前進」を認めてあげることができれば、

きっと「春」は素敵な季節になるのだろう。


「春」はまだ始まったばかり、

それでも今のところは「春よ、来い」と願うのみ、


私にとって、

今年の春はどうなるのだろうか。