私が住んでいる近くには女子学校があるものだから、
「JK」だの「JD」だのが群れをなして闊歩している。
駅に向かう時間には駅から押し寄せてくるし、
早くに仕事を終えて駅から帰宅するときには駅に向けて押し寄せてくる。
休日にイベントなどあろうものならば、そこら中に女子が蔓延っているのだ。
それを男どもに話すと、
「目の保養になる」だとか、
「よい匂いがしそう」だとか言われるけれど、
そんなものは通り越してしまうくらいに「うざい」
おしゃべりに夢中になっているから、
周りの邪魔になっていることなど気が付かないし、
「ぎゃはは」と言う下品な笑い声には殺意すら湧いてくる。
おそらく私の「自意識」によるところも大きいだろう。
自分が望んでも受け入れられないからと、
きっと私には若い女性に対する敵意があるのだ。
何度かブログにも書いている持論だが、
「女が3人以上集まるとロクなことがない」
本来マルチタスクに優れた生き物のはずなのに、
「共感の押し付け」や「無意味な話題」に花を咲かせて、
どうも周りが見えなくなるようだ。
森元会長のお立場で発言するのは問題だが、
「女性がおしゃべりに夢中になると止まらない」というのは、
皆とは言わないけれど、おそらく多くの女性に該当する真理だ。
「共感を欲する生き物」
なんで周りが見えなくなっちゃうんだろうね。
コミュニティの中での「居場所」を確保するのに必死なのかな。
残念ながらやりとりをしていた女性との接点がなくなった途端に、
私の女性に対する「嫌悪」は募るばかりだ。
あんな全く進まない気のないやり取りでも、
少なからず私の自尊心を満たしていたのだろう。
こじらせる一方、
若い女性に対する「嫌悪」を募らせて、彼女らの価値を低く置くことで、
相対的に自己評価を上げようとしている浅ましさ、
私に言わせるところの下の下の自尊心の満たし方、
そこにすがりつかなければならないほど、
私の男としての自尊心は地に落ちているのだろう。
もはやトラウマなのかもしれない。
若い女性たちの笑い声が私にとっては暴力だ。
頭ではわかっていても、
「嫌悪」を止めることができない。
自分が嫌になるな。
どんなに邪魔でウザかったとしても、
手だけは出さないように気をつけないといけない。
「手を出すな!それだけがルール!
頭を使え!心を鍛え!手を出すな!」
「俺は成長フェチ、と言うより成長マニア」
何も進まないのに時は無情に過ぎていく。
私の心が満たされる未来はあるのだろうか。
『手を出すな』