年頭の記事を確認すると、
今年の年頭に掲げた目標は3点あった。
・むやみに正義を振りかざさない
・人類の未来に希望を持ち続ける
・人生を前に進める
というものだ。
去年の私は1年間を振り返って、「コロナ禍」に言及している。
人類の生活環境が大きく変わった昨年、
直接的な人との触れ合いはかなり制限された。
片や、デジタルの持つ力は勢力を拡大していき、
人の生活に、より根差していく。
少しずつシフトしていく。
「当たり前」ではなかったことが「当たり前」へと変わっていく。
貧弱だった「ホモ・サピエンス」が、
過酷な生存競争に勝ち残ってきた理由として、
「順応」というものが挙げられるだろう。
集団として群れることで力を合わせて、
知恵を結集させて「道具」を作り出す。
今般の対「新型コロナウイルス」にしてもその名残は色濃く残る。
人は過酷な環境に対して「順応」する生き物なのだ。
生きること自体が生存競争、
生活インフラは整い、命の危険にさらされる機会が極端に少なくなったものだから勘違いしがちなのだけれども、我々は常に生存競争の渦中に晒されている。
いつだれがどうなるかもわからない。
「順応」できなければ淘汰されていく。
そして、厳しい見方だけれども、生き残った人だけが子孫を残していく。
種として洗練されていき「生き残る術」を持つ遺伝子だけが先へと進む。
そうやって、人類に限らず生物は歴史を紡いできたのだ。
だから、「人類に対する試練」
私は何度か「コロナ禍」をそのように綴ってきた。
1年経って、2年が経とうとして、
徐々に「順応」していく。
自らの意思で、自らの「生きがい」を見出して、
自らの「居場所」を創造できる人、
誰かに敷かれたレールの上を歩くだけでは生きられなくなった。
根源的な「闇」
「孤独」を享受できるか否か。
「コロナ禍」による「淘汰の閾値」はそのあたりにあると感じる。
人と人とが支えあって、
ある種、性的な意味ではなくとも肌と肌が触れ合って、
熱を感じながら「生」を実感して生きてこられた時代、
そこに分断が生じたのだ。
だから、人は「居場所」を失ったような気になって、
自らの価値に懐疑的になって、自身の価値を低く見積もるようになる。
そこから始まる負のスパイラル、
「自分は生きている価値があるのだろうか」
そんな思考に陥る。
もともと「生きる価値」だなんて曖昧なものに答えなどない。
そこにフォーカスすること自体が「危険」なのだ。
人は時間を持て余すと余計なことばかりを考える。
だから孤独な「おうち時間」にふと死にたくなるのかもしれない。
「自死」とは断定できないような有名人の死が、コロナ禍になってから少なからずあった。
「孤独」は生命力を奪うと同時に人を衝動的に変える効果があるのだろう。
「Withコロナ」という言葉が叫ばれて久しい。
待ちゆく人にインタビューをすると、
皆「コロナは怖い」「気を付けなければならない」と口にする。
そのくせ繁華街へと外出しているのだから、
どこか「大丈夫」だと思っており、ある意味ではリスクを受け入れているのだ。
これも「順応」
口では拒絶しながらも、意識的には受け入れている。
これから先は、ますますこういった「バランス感覚」が求められるのだろう。
雑多になってきた。
何が書きたかったのかわからなくなってきたな。
強引に掲題に戻すと、
私は今年、自らに大きな変化を強いた。
それまでの自分であれば選ばないような選択肢を選び続けて、今この立ち位置にいる。
念頭には想像もしていなかった立ち位置だ。
短絡的に見れば「安定」を捨てて荒波へと飛び込んだ。
だけれども、人生という長い目で見れば、
手足が、心が動くうちに自らを過酷な場へと導く。
そこに「順応」できる力を身につけていくこと、
それはリスクヘッジなのかもしれない。
「人は甘えられる環境に身を置き続けているとダメになる」
これは転職を通して痛感したこと、
広い裁量で思い通りに仕事を進められた環境、
私はそこを飛び出して、大きな組織の部品となった。
「むやみに正義を振りかざす」という行為は、
自らの立ち位置が安泰だからこそできる行為でもある。
自らを危険に晒し続けることで、
生存競争の渦中に居ることを実感し、
人は謙虚になれるのかもしれない。
子孫を残すことはできないのかもしれないけれど、
私は「個」として、この時代に順応しようとして、
自らに「強制的な変化」という課題を突き付けた。
今年はそういう1年だった。
自らを俯瞰しながら、周りに流されることなく、
自らで選び取った「今」だと自負している。
人生においてこの「実感」は大事、
だから、今年はそういう1年だった。
そう結論付けることで、冒頭に挙げた3点、
それを今年は達成できたのだと結論付けることにしよう。
加えて、応援する東京ヤクルトスワローズは20年ぶりの日本一、
最高のシーズンだった。
前日の記事に書いた通り、
今年は私にとって「勝利」の一年だったのだ。
そういうことにしておこう。